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2023年12月22日05:19

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「短歌人」の誌面より(183)

2023年12月号より。

だれか来て 佇む 去って またひとり浅き眠りの出入りはじゆう  鈴木杏龍

…浅い眠りの時に次々に見る夢の実況中継。誰かが来て佇んでいる。そのひとは去ってそこへまたひとり…、以下同様にしてどぐらまぐらの夢見でありました。そう、そう、こういうことってあるよね、と共感する読者は多いだろう。3箇所の一字アケがとりとめのない夢の断片感をよく伝えている。「じゆう」のかな書きもこの場合の「じゆう」にふさわしい。

ゆふぞらはだらりと腕をぶらさげて死をはこびゆく人の夢(くら)がり  木戸 敬

…これもまたとりとめのない一首だ。夕空がぶらさげる腕とは、日の入りの頃の残照だろうか。あるいは幻だろうか。死を運びゆく人とは、遺体を運ぶ人の謂か。いや、次の歌が〈いつか可死はたましひを食ふ神無月おほ粒の葡萄のみどにくだる〉というので、死すべき存在としての人だろうか。「夢」に「くら」と振るのは作者のオリジナルかと思えば、漢和辞典で「夢」を引くと、「くらい」という意読が記されている。死すべきわれの夢のシーンかとも思われてくる。というようにして、一義的な意味を伝えない歌だ。絵で言えば具象画ではなく抽象画だろう。歌会では「わからない」などと言われてあまり良い評価が下されない作品かも知れないが、このところ僕はこの手のものに惹かれる。昨年末になくなられた酒井佑子さんは「最晩年、わけの分からない朦朧とした歌を作りたいと話していた」そうだ(遺歌集『空よ』*の栞、紺野裕子さんの文章より)。
https://www.sunagoya.com/?pid=178605014

大谷が打つた瞬間かぎりある命の人らみな叫びをり  大橋弘志

…「かぎりある命の」によって類想山積であろう大谷を詠んだ歌群から抜け出した一首。今、この瞬間にわれらは心をひとつにして快哉を叫んだ。が、それは一点の時の凝集以上ではない。われらは一人ひとり限りある命を生きていて、それぞれがいずれ相異なる時にその命を終えるだろう。そう思えばスポーツニュースでお馴染みのシーンも、深くあわれを湛えているように感じられる。僕は「ラジオ深夜便」のテーマ曲を聞きながら、いまこのメロディーを聞いているであろうあちらこちらの人々も…、などと思うことがある。

かがまりて火を弄びわらふ猿はるけきむかし森のくらがり  植松 豊

…火の発見と使用がホモサピエンスの誕生をうながした、というようなストーリーを輝かしく語る手合いに、むすっとした表情でアンチを投げかける一首。やっちまったんだよ、かがまって火を弄んで、ふ、ふ、ふと嗤い合う猿どもが現れちまったんだ。はるか昔の森のくらがりでね。見ねえ、その末裔がこのザマだぜ。おかげで原罪だとかいう理屈をこしらえなくちゃならなくなったし、今さら地球にやさしいだのとホザく手合いまで現れたってわけさ。

薄い目でシュレッダーするみっしりと写経のような育児日記を  姉野もね

…かつて日々熱心に記していた育児日記だが、今となってはこんなものになり果ててしまった。こんなものはこの世に無かったことにしよう。「薄い目で」「写経のような」というフレーズがそうした事情を伝える。たぶんこのへんの心情はひとによってかなり違って、終生大切に手許に置く善き母もいることだろう。あの頃は標準の発達段階などというものを常に気にして、わが子もそこから逸れていないことを日々確認しては日記に綴っていたのだろう。一字一句間違うことなくお手本をなぞる写経のように。いったい何だったんだろう、あの頃の私は、と姉野さんは自問する。後続世代の若き母親がこの歌を読んで、ああそんなものか、と少し気楽になることがあるだろうか。あるといいな、と思う。

鈍色の夜は音ひとつ間違ふな転調の予感ふたりをつつむ  柊 慧

…「ハニヤ・ラリ」7首の5首目。ハニャ・ラリという若きミュージシャン(ピアノ、シンセサイザー、作曲、編曲、ヴォーカル)の存在をこの作品で知った。1首目は〈官能の香を忍ばせる音なりと言へば男のあなたは黙す〉。「音」はおそらくハニャ・ラリがピアノで弾く自作の曲だろう。「あなた」は「男の」あなただ。女のわれと男のあなたの逢瀬のシーンが、ハニャ・ラリの奏でる音をバックとして6首目まで続く。この5首目はふたりの関わり合いが深い所へ転じてゆく予感、バックの音はハニャ・ラリを離れて、ふたりが連弾で弾いているかの如くである。予感を成就させるためには、一音でもミスタッチをしてはいけない。というようにして狭い尾根をゆくシーンだろうか。だがそれは万人に祝福されている夜ではなく、鈍色の夜なのである。青春の恋ではない。隠れ家に睦み合う大人のふたりを思わせて印象深い作品だ。次の6首目は〈深更に絹の雨きて手を繫ぐ ふたりはひとりよりもしづかだ〉。


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