東京に異動で戻ってきてから様々な企画を考えるようになり、多くのビジネス書や技術書を読むようになりました。
その中で先日データマネジメント知識体系ガイドという大変分厚く、データのマネジメントに関するかなり体系的かつ高度な書籍を読みました。
内容は専門性が高く、何を書いているのか理解し難い部分も多くあったのですが、一方とても良く理解できる場所もありました。
書かれている内容の難易度は他と同じレベルでかつ、もともと知っているわけではなかったですが、不思議とそこだけは理解できるのです。
なぜなのかと考えて、なんとなく行き着いた答えは、それがきちんと自分の中で対応付け(マッピング)できているかどうかで理解の差が出ている、という事でした。
つまり、書籍の中から得た知識をこれまでの経験と対応付け(マッピングして)、解釈を作るれるかどうかです。
このことを単純に「理解する」と表現するのは正しくないと思いましたので、あえて対応付けという言葉を使いました。
なぜなら、ただ読んで内容を正しく学ぶことが理解であるなら、同じような難易度の話を読んだら理解度は変わらないはずだからです。
今回は明らかに理解の解像度が変わっており、それは経験との対応付けができたかどうかが差となって現れている、今回の経験の中で私はそう感じました。
そういった前提で「理解すること」はどういう状態なのかを考えると、それは経験との対応付けのあとに現れる状態であり、きちんとした対応付けができるようになればそれはイコールで「理解した」と言えるのかもしれません。
さて、上記のようなロジックでものを理解することを解釈すると、経験が全く無いことを学ぶことは時間がかかり大変であることがわかります。
というのも、対応付けできる経験がないということなので、ただ知識を覚えただけで自分の頭の中で実体を伴っていないからです。
そういう意味で、学習とは少しずつ経験があることとないことの間で行っていくと良いのかもしれません。
チームマネジメントなどで使われる言葉でそういう領域にぴったりな名前があり、それをLearning Zoneといいます。
Learning Zoneで学んだことをどう自分の中で対応付け(マッピング)するかが学習の良し悪しを決めるといっていいのかもしれないと思った今日このごろ。
以上
【最近のGratitude】
・April first
I wrote this “gratitude topic” at April first. Today, a lot of colleagues change department and they were greeting everywhere. April first is the season of encounters and farewells. I feel that today.
Today, there were two people came our department, one was deep learning researcher and another one was analyst. Now I don’t know well about them, but next week I want to talk them. I’m looking forward to new greeting!
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