小説に散りばめられた様々なテクニックを明らかにする「小説技法篇」と、作品分析の方法論を解く「批評理論篇」を車の両輪として、小説とは何かという真髄に迫る。
前者は、ストーリーとプロット、語り手、性格描写、結末というオーソドックスなものから、異化、間テクスト性、メタフィクション、アイロニー等まで幅広い技法を提示する。後者は、伝統的批評から始まり、ジャンル批評、精神分析批評、脱構築批評、ジェンダー批評、ポストコロニアル批評など作品を分析する手法の多様さに圧倒される。
本書が一般的な教科書と違って面白いのは、メアリ·シェリーの『フランケンシュタイン』に焦点を絞っていることだ。ひとつの作品を巡って、ここまで多面的に読み解くことが可能であることに驚かされる。古典となる名作は、読み手や時代によって多様な解釈を可能とする。
例えば、「語り手」では、複数の「信頼できない語り手」の声が呼応し合い、現実を歪めたり隠したりする人間という存在を明らかにする。他の文学テクストとの関連性を指す「間テクスト性」では、先行する数多くの古典作品がフランケンシュタインの下敷きになっていることが分かる。また、執筆時の近過去であったフランス革命を擬人化し、怪物のイメージを重ね合わせるという読みも斬新だった。
人間の企てが人間の手に負えなくなって、造った側に降りかかってくるという『フランケンシュタイン』の主題は、生物の遺伝子構造を操作する技術が現実となるなど、科学技術が進展した現代において、より重みを増している。『フランケンシュタイン』の副題である「現代のプロメテウス」という言葉は、原発事故を経験した我々にとって示唆的である。
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