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2020年05月16日22:02

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事件の現場【小倉美咲ちゃん行方不明の現場に行ってみた・その1】

2019年9月21日15時40分から16時に山梨県道志村の椿荘オートキャンプ場から、当時7歳で小学一年生の小倉美咲さんが忽然と消えた。

知り合いのドイツ人の女性、ゾーイさん(仮名)からその年の9月2日あたりにメールが届いた。彼女は残留思念を読み取る事が出来る、とても不思議な能力を持った、感受性の非常に強い女性だ。

「あなたが以前住んでいた山梨で1人のかわいい女の子が行方不明になる。非常に後味の良くない結果となり、看過できない。」

という趣旨の内容だったのを覚えている。

今回、事務に職場が転向してからクルマに乗れていないこともあり、下駄のトヨタ・ヴィッツにひと働きして貰おうと思った。

手掛かりが余りにもなく、不気味で極めて難解な事件となっている。

■地域の名刹の交通安全ステッカーがコロナ自警団に思わぬ効果あり■

実はこのほど、都留市にある事業所に用があったので、翌日は休みということもあり、連休前に現場に行ってみた次第である。

市街地を走っていると煽って来る輩がいるが、この手の輩は煽っては直ぐに離れていく。多分ハッチに張り付けてある武田神社(甲府市)、富士北口神宮(富士河口湖町)、善光寺(長野県長野市)の交通安全のステッカーを見てのことではないか。ぶら下げているのは東京都のナンバーだが、同じ山梨の住民と認識してくれたからだろう。山梨県は6年ほど単身赴任で住んだからハッキリ言えるが、観光は良いけど、住むのは御免被りたい。かなり排他的だ。山梨県人は長野の事をそれほど悪く言わない。逆に長野県人は特に佐久、小諸、上田の人達は基本的に武田信玄が嫌いである。ということは山梨県人のことをそれほど好く思っていないだろう。

山梨県の排他性には理由がある。

何しろ武田信玄が、よそ者は苗字を見ればハッキリわかるようにしたからだ。戦国武将が須らく外部の優れた人材を登用したかと言われたら、決してそんなことはない。寧ろ父・信虎の方がずっと外部の人材を登用したほどだ。そもそも武田家自体、信玄の正室(第一夫人)の名前だって分かっていないではないか。
単に「三条の方」それだけだ。

織田、徳川、豊臣、毛利、伊達、前田、北条、上杉、これらの家はちゃんと正室の名は残っている。このあたりに武田信玄が戦国最強なのは疑いの余地はないものの、限界も垣間見た思いがする。戦国とは家の総力戦である。女性の力を活かせないようでは天下は取れない。

ただ余所者に排他的な山梨県で思わぬところで交通安全のステッカーが役に立った。

皆さまもお試しあれ。その他、広島市周辺だとカープのぬいぐるみやステッカーが意外と効果があるという。

尤も余りにも悪質な輩に対して、自分はギアをローに叩き込んでハンドブレーキで停止するといったことも出来る。これは「当たり屋」の常套手段だ。ピーピーと警告音が鳴るが、大抵の輩は3回ほど信号付近で続ければもう煽りはおろか、遠巻きにして近寄らなくなる。これでドラレコを持っている連中がSDカードを警察に提出しても、警察は勝手に体当たりしたとしか認知しないからだ。

まあ今日はそこまで意地の悪い事はしなくても済んだ。

「なんで東京のナンバーがこんなところに居るズラか。コロナを撒きに来たっちゅうこんけ。(ステッカー見て)ほうけ、おたく同じ山梨県人ケ。」と笑って離れる(※5年もいたので、甲州弁を話せます)

という態度が分かったからだ。

県道24号を山梨・神奈川県境に向かって走らせ、R413を右折、旧津久井町方面に向かって進む。途中入口と思しき橋が見えて来た。

愈々キャンプ場の入口。暫し「道志みち」とはお別れ。右折して入る。

■椿荘キャンプ場へ■

R413からキャンプ場へ通じる道はあるのだが、これがいきなり狭い橋。

坂は上り基調。椿荘オートキャンプ場へは意外と狭い。5ナンバー幅(車幅1700mm以下)同士であれば何とかすれ違えるものの、車幅が1800mmを優に越えるL型ワゴンではちょっときついと思える局面もあった。

すれ違ったのは地元住民と思しきダイハツのハイジェット(軽トラ)、トヨタ・ノア、スズキ・スイフトのみだった。台風19号の被害の凄さが窺える。木が横倒しになっている個所は珍しくもなかった。

丸太が横に置いてある、青いトタンで作られた資材置き場を右に曲がる。一応は標識もあった。新緑の緑がまぶしいが、同じような風景ばかりが続く。

路自体は道周辺が台風の被害で荒れ果てていることを除けば、R412の相模湖プレチャーフォーレストの近くから旧藤野町にR20を使わずに抜けられる、湖畔の沿いの森の道に比べたらどうということはない。何しろ街灯が数キロ先までない、そんな夜間の道を何度も自分は現場にいるとき走って来た。

しかしそんな道を走ったことも無い人の場合、迷ったら最後ではないか。まだ現場に着いていないものの、巷で確定したかのように出ている誘拐説について、

「下見無しに美咲ちゃんを連れ去るのはほぼ不可能だ」

という思いを強くした。単に連れ去るだけだったら、バイクでも行けるし、バイクならばスイスイ進める。しかしバイクで連れ去ったとして、後はどうするのか。軽自動車であればバイクほどではないものの、難しくない。もしこの説が正しいとして、犯行に使われたのは軽のワンボックスか、それともダイハツ・タント、スズキ・パレット(=ニッサン・ルークス)、ホンダ・N-ワゴンあたりなのだろうか。これらだったら確かに可能だが、ホンダは無いなと思う。何しろ瓦礫だの礫ダートも多い。ホンダ車は基本的にスペアタイヤがないのだ。実際、橋を渡ってすれ違ったホンダ車は一台も無い。

青いトタンで拵えた資材置き場を右折し、更に傾斜は増していく。ギアを「S」に入れる。やや音がけたたましくなるが、1.3Lのヴィッツは難なく上った。矢張りアクセルペダルの角度を変えていることが大きい。

変形のT字路に差し掛かる。倒れ掛かった標識。名前はないが、さっき資材置き場からやって来た道と接続出来るから左折だろう。

そもそもトヨタがサービスでつけてくれたパイオニア社製のナビは全く役に立たないので自分は使わない。こんなモノは要らないから、ちゃんとタコメータをつけろと言ったが、このグレードにはタコメータがない。呆れた安普請ぶりである。ヤリス(※当時の欧州仕様)にはヴィッツと同じ値段でタコメータはおろか自動防眩にトラクションコントロールも標準なのだ。メーターも220km/hまである。

仕方なくVIPOT社製のタコメータをつけた。

左折すると一転、今度は下り坂となり、道はところどころ広くなっている。

渓流の橋の手前に寂れた別荘。何台もの車が置いてある。

その先の橋を渡ると当地である。台風19号が直撃した、とあるが、本当に酷い。まるで空襲にでもあったのかと思う程の荒れ様である。

この日はソロキャンプが3基、パーティが2基。

まあこんな空襲でもあったような場所に行くならば信州のどこか捜した方が良いだろう。新緑の緑も眩しいはずだ。

では時間の許す限り散策つつ、考察してみよう。

最後まで御覧頂きましてありがとうございました。

(続く)

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