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2018年01月02日09:18

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小説「死の川を越えて」 第38話

「感染はどうなのでしょう」
さやのもう一つの大きな不安であった。
「私が今、研究している最大の課題です。皆さんの草津は、重要な示唆を与えています。一つの実験場と言えます。共同浴場は昔、患者と混浴でしたね。人々は長い経験から容易にうつらないことを知っていたのではないでしょうか。少し正確に言うと、菌が体に入ることと病気が発症することとは別なのです。菌が体に入っても、体に力があればほとんど発症しません。栄養が悪かったり、体の力が落ちると発症する。私が集めている資料では、貧しい農村に患者が圧倒的に多い。これは貧しくて栄養事情が悪いからではないかと思います。この体の力、菌と戦う力を免疫力と言います。私の集めた統計では一般の感染率は非常に低い。感染率が非常に高いというのは迷信だと信じます。近い将来、ハンセン病菌は薬によって撲滅されるに違いありません。ハンセン病の撲滅は人間の回復です。しかし、ハンセン病の撲滅は癩菌の撲滅だけでは達成できません。世の中の偏見をなくした時、ハンセン病の撲滅は実現するのです。地域社会が力を合わせ偏見と闘わねばなりません。現在は、社会全体でハンセン病の患者をいじめている状態です。皆さんの湯之沢集落は特別な所として注目しています。キリスト教徒のリー女史、岡本女医も同じ思いだと信じてます」
小河原泉の言葉をさやは熱い心で受け止めた。
小河原は、去っていくさやたちを研究室の窓越しに見ながら、ああいう人たちまで隔離するというのは絶対に間違っている、思った。
研究室の同僚が小河原に向かって言った。
「上州の草津の人たちですか。あそこは研究の宝庫だね」
「そうです。僕は草津の人に会って、ここの方針が正しいことを確信したよ。感染力は弱い。学界と国は隔離すればいいと思っている。僕はこれは間違っていると思う。君はどう思うね」
「基本的には、小河原君と同じだよ。日本の主流は一生隔離というんだから、酷い。人道に反する。実際、治る人もいるのだから、よくなったら解放すべきだと思う」
「僕は、草津のあの女の人たちの輝く表情を見て思ったんだ。仮にあの人たちを隔離したら、あの表情は消える。ということは何を意味すると思う。心の力が失われることじゃないか。免疫力が下がってしまうと思う。あの人たちが言っていた。湯の沢というハンセンの集落は、患者たちが助け合って村を運営しているというんだ。僕はこういう助け合いの力が免疫力を生み出しているとさえ言えるんじゃないかと思うんだ。医は仁と教えられた。隔離は仁に反することだと思う。今日、あの人たちに会って、改めてこのことを確信したよ」
 小河原は、にっこりと笑って言った。

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

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