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2017年08月25日07:38

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鉄砲伝来

1543年の8月25日(新暦では9月23日)、ポルトガル船が種子島に漂着します。
その船に鉄砲が積まれていました(1542年という説もあります)。
以後、「種子島」と呼ばれるようになります。もし、淡路島だったら「淡路島」になったのでしょう。
最初は猟銃が目的でした。が、当然戦争の火器になって進化して行きます。
鉄砲そのものとその製造技術や射撃法も伝わり、戦国時代の勝敗の鍵を握ります。

当初の鉄砲は、飛距離、命中率、発砲までの弾込めの手間、そして何よりも雨の日には全く使えないことから、あまり重要視されていませんでした。
それが1575年、織田信長が甲斐武田氏との長篠の戦いで、何班かに分けて連続的に発砲する戦術によって騎馬軍団を破ったとされ、一気に注目されます。
ただし、この戦さ当時、織田軍の種子島は1000丁ほど、もし3班に分けたのなら一回に発砲できるのは300丁、2班としても500丁程度です。これで本当に優位になったのか、疑問視する歴史学者もいます。

何はともあれ、今日のカットは「種子島」です。
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