mixiユーザー(id:20556102)

2017年07月30日23:03

701 view

紺野裕子歌集『窓は閉めたままで』

2017年6月、短歌研究社刊。紺野裕子さんの第3歌集。

早苗田はそよぎゐるべしあの日もし北西の風吹かざりしかば

バスの窓にはりつくわれのまなこ過ぐ〈飯館牛〉の黒き太文字

えいゑんに死んでゐるとふ恐ろしさに夜半を覚めゐき九歳われは

捉はれてべきべきべきとわれは在る外水道に雑巾乾く

ねむる子の手より落ちたるテディー・ベア拾ひあぐれば二年が過ぎつ

いま人と笑つてゐるのは死にちかき床(とこ)にわがみる夢かもしれず

残されしのむらたむらの野村さんが柩を追へるそのうしろ見つ

両腕をおほきく掻いてシャツを着るわたしの言葉ではなすと決める

開けつぱなしのへやにとび入る蠅ひとつ出鱈目の線かけば出でゆく

誰がための帰還ならむか〈絆〉などゆめ持ちだすな為政者たちよ

以上、『窓は閉めたままで』より10首。

1首目(早苗田は…)。「私は福島市で生まれ育ち、高校卒業後は現在に至るまで首都圏で暮らしている」と、「あとがき」の冒頭にある。作者について何も知らない読者にとってはこれは貴重な情報で、もしこの「あとがき」がなかったら、紺野さんはどうしてこんなに福島の被害にこだわって詠むのだろう? と思った読者もいたかも知れない。さすればこの歌集タイトルのゆえんについても察しがつくだろう。ここから先は車の窓は閉めたままで、と今なお言われるエリアがあるのだ。この歌の「あの日」は、言うまでもなく福島第一原発の事故の日である。もしあの日の風向きが違っていたらこのあたりは…、という思いの湧き起こるのを封じかねつつ作者は車の窓を閉めたまま通過するのだ。

2首目(バスの窓に…)。これも同様の歌。〈飯館牛〉は〈松阪牛〉の類の看板なのだろう。「飯館」といえば全く違う事情で全国区に流通する地名になってしまった。今は人影もなく、その看板だけが置き去りにされている。それを紺野さんはバスの窓にはりつくようにして見ている。

3首目(えいゑんに…)。誰もが一度は経験したであろう「恐ろしさ」を詠い留めた一首。家族親族の誰かだろうか。ああ、もういない。えいゑんにいない。死んだらその先はえいゑんの無だ。いつかきっと必ず私にもそのえいゑんの無が訪れるのだ。恐い…。「九歳」というのも、たしかにそのあたりかと思わせる。

4首目(捉はれて…)。「べきべきべきと」は永井陽子さんの「べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊」を下敷きにされているのだろうと読んだ。わたくしは柔軟に活用表をなぞったりはできません。ひたすら「べき」です、「べきべきべき」です、屋外に乾く雑巾のように。なぜ「捉はれて」なのかは読者の想像に委ねられているのだが、僕はやはり2011年3月以降の福島を思ってしまった。「外水道」は「そとすいどう」と読むのだろうが「げすいどう」とも読めてしまうので、「外」に「そと」というルビがあってもよかったのではないかと思った。

5首目(ねむる子の…)。幼い子どもは眠る時に「〜〜ちゃんと一緒じゃなくちゃいやだ」とか言ったりするものだ。その「〜〜ちゃん」がこの「テディー・ベア」。眠りに入ってしまえばこんなふうに取り落としたりもする。この子がこのテディー・ベアと一緒に寝ると言い始めてから二年だなあ、という感慨がよぎった瞬間をうまくとらえている。

6首目(いま人と…)。時間を自在に往き来する歌。いま人と笑っているのは今のわれの体験である。で、ああ、いつの日か、死に近い床に横たわっているであろうわれが見る夢は、今ここでこのようにこのお方と笑っている場面なのかも知れない、というのである。われにとってどうでもいいような「人」ならこんなことは思わない。「死に近き床」経由でこの「人」との近しさを詠んだ歌、と受け取ることもできる。

7首目(残されし…)。一昨年の12月に急逝された「短歌人」の仲間の田村よしてるさん追悼の歌群より。「のむらたむらの野村さん」と言われて了解できる読者は限られるだろうが、そのようにして読者を限定する歌というのもあっていいのだろうと思う。僕はこの場面を見ていなかったが、そうか、野村さん、柩を追ったのか。そうか。そうだよなあ。

8首目(両腕を…)、9首目(開けつばなしの…)は比較的最近の短歌人東京歌会に出された歌で、2首とも印象に残っている。8首目の「両腕をおほきく掻いて」は、ああ、あの仕草かと誰もがわかるが、それをこんなふうに言葉化した歌は初めてかも知れない。どちらかと言えば男っぷりを思わせる仕草だが、紺野さんはけっこう男っぷり良きところがあるお方で、作者を知っていると一読納得できる歌だ。よし、借り物の言葉はやめよう。わたしの言葉ではなそう、と決意した場面。重要な会議に出かける朝だろうか。「はい、そうですよ、わたくしは友人に便宜をはかりましたよ。特区ってもともとそういうものでしょうが。そこに何か問題がありますか?」とか(この歌のモードからは脱線するが)「わたしの言葉」で言いたかったお方もいたんじゃないかと思ったりする今日この頃である(笑)。

9首目(開けつぱなしの…)。「かけば」がいかにも短歌的な已然形で、「かいて」でもよさそうなところを「かけば」としたのがいいと思う。もちろん「かけば」の主語は蠅である。東京歌会では「かけば」の主語はわれか? という意見が出て、議論になったように記憶している。ここは初句〜3句でフォーカスされているのは「蠅」なのだから、当然、下の句の主語は「蠅」と読むべきところだろう。

10首目(誰がための…)。再び福島の歌。こうした詠み方は一歩間違うと新聞の投書欄に散文で出せばよさそうなものを五七五七七にしましたという歌になりがちで、この歌などはかなり際どい位置にあるように思った。が、僕が知る限り紺野裕子という作者は好んで社会詠を作ったりするようなお方ではない。その紺野さんにここまで詠ませたものに対して、読者もまた憤りを共有せずにはいられない。というような意味合いで深く印象に残った一首である。


【最近の日記】
大丈夫か文学の言葉
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961788385&owner_id=20556102
8月号「短歌人」掲載歌
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961771368&owner_id=20556102
窪田政男歌集『汀の時』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961754932&owner_id=20556102
7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年07月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

最近の日記