mixiユーザー(id:6327611)

2014年12月11日15:51

490 view

こういう映画は別々ではなく、2本まとめて面倒みるぜ。ラース・フォン・トリアー監督「ニンフォマニアックVOL.1」&「ニンフォマニアックVOL.2」

最初にお断りしておきますと、僕はラース・フォン・トリアーという監督の映画が好きではありません。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の絶望的な暗さに何も問題意識を感じなかったし、「ドッグヴィル」の作為にも面白みが感じられなかった。わずかにカンヌ映画祭60周年記念のオムニバスにおける彼担当の部分は面白かったな。
だったらなぜこんな4時間の二部作を見たのかというと、題材がセックスだったから興味本位です。そもそも僕は高校生のころに澁澤龍彦という人物を知り、彼が絵解きする多彩な性の世界に目を見張りました。その延長線上でこの映画を見たという感じです。

物語は、ジョー(シャルロット・ゲンズブール)が傷ついて倒れているところを、通りがかったセリグマン(ステラン・スカルスゴールト)に助けられ、セリグマンの家に担ぎ込まれるところから始まります。そしてジョーは身の上話を始める。子供のころの父親(クリスチャン・スレイター)との話から、同級生のB(ソフィー・ケネディ・クラーク)との性の冒険、そしてジェローム(シャイア・ラブーフ)との出会いと彼の子供を作る話などなど。

ニンフォマニアックという言葉は“色情狂”とでも訳せばいいのでしょう。←言い忘れましたが、僕はこの映画をわざわざ映画館に見に行くのは面倒なので、アメリカ版ブルーレイを購入しました。2作品入って送料込みで5000円足らずなので、二人で見に行ったと考えれば元が取れます。←金銭的な面だけの話。つまらなければ大損害です。ジョーの男漁りの冒険譚は、さほど奇想天外ではない。むしろ通俗的すぎる。

結論を先に言うと、とりあえず4時間、見ました。とはいえ面白いとは思いません。若いジョーを演じたステイシー・マーティンは細身で胸がなく僕の好みでした。でも、今更なまいきシャルロットの裸やセックスシーンを見たくない、という意味で面白くないのです。幼いジョーがBとセックス遊びするあたりも、あんまり好きではありません。←こういうシーンを見ると、僕は“子供にトラウマが残るぞ”と倫理観が先に出てしまう。

そんな部分より問題は、聞き手のセリグマンの、常識的な知識人ぶりが面白くない。こんな人間なしで、ジョーのセックス遍歴だけアナーキーに展開していれば、もっとパンチの利いた作品になったのではないでしょうか。セリグマンを登場させたがために、彼のような社会常識に対する色情狂という位置づけとなり、僕にはつまらない。

ジョーのセックス遍歴も、なんか通り一遍で面白くありません。もっとも澁澤龍彦が言うように、“新しいものなど何もない。過去にすべてがある”わけで、ありきたりな色情狂ぶりを描くだけでもいいのです。ただし、それを社会通念における色情狂として知識人の常識に対比させただけでは意味がない。色情狂としての人生の楽しさを描くか、その人生の破綻を描くか、そこに人生がないと説得力に欠けます。今回は知識人セリグマンの、しょーもない欲望の一面が結末となっていて、これじゃあきませんわ。そんなセリグマンを“唯一の友人”なんて呼ぶなっての。

要するにラース・フォン・トリアーという人は、常識人なんだろうなと感じました。そんな自分を色情狂にとどめを刺してもらいたいという映画だと感じます。ラースという同名の青年はアメリカ映画の主人公として、ダッチワイフを彼女だと言い張ったのですが、そっちの主張のほうが僕には一理あるな。昔はダンス少年を演じたジェイミー・ベルに鞭を持たせたあたり、無知の涙という感じです(ダジャレご免)。こういう物語展開の中で、数列の話やテグスの結び方を持ち出したりするから、2時間の映画が4時間になってしまうのです。セリグマンの余談を全部カットしてくれ。

とりあえずご覧になりたい方は、「1」だけで十分だと思います。「2」になるとトリアー監督のドグマ時代のくせが戻ってしまい、カメラがうるさいうるさい。「サンセット大通り」のラストシーンで、ビリー・ワイルダーが“賞を狙うからピンボケにしろ”と言ったのを真似ているみたいに思えました。実はきちんと被写体をとらえる力量がないんでしょう。

僕はイメージの世界においては、そして合意の基にある人間たちの間では、いかなる性癖や行為も許されると考えています。だから、今さら色情狂を常識人と対比されても、問題意識にならない。それだけのことでした。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年12月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031