mixiユーザー(id:20556102)

2013年06月17日22:46

228 view

宮田長洋さんの「疎林」1号

「短歌人」の先達の宮田長洋さんが個人誌「疎林」を創刊された。その創刊第1号(2013.4)を読ませていただいた。

短歌誌ではなく、短篇小説誌である。掲載されている作品は、「躁鬱連盟」「唐草模様」「入り日」「井荻まで」。すべて宮田さんの作品である。4篇とも、部分的にフィクションやデフォルメは加えられているのだろうが、これまでの宮田さんの体験をベースとした作品だ。巻末の「後記に代えて」にも「四作品に登場する相当数の人物には、みなそれぞれに固有のモデルが存在している。一人として単なる空想上の人物はいない」と記されている。

「唐草模様」はかつて宮田さんが絵画塾で学んでおられた頃の友人たちが描かれている作品である。この「疎林」誌も、宮田さんの歌集『東京モノローグ』に続いて、宮田さんご自身のスケッチ帳から採られた作品をもって装丁されている。

「井荻まで」は宮田さんが中学生だった頃が回想されている作品。西武新宿線がまだ汚穢電車などと呼ばれていた頃、沿線の下井草から井荻あたりにはまだ雑木林や畑があり、農家があった頃の物語である。その後、あのあたりから次第に自然が消えて行ってしまったことが、宮田さんという人間の根幹をなす悲哀感を形成する大きな要因となってきたことは、歌集『東京モノローグ』からも感知することができる。

「躁鬱連盟」と「入り日」は、宮田さんが精神科の病棟に入院されていた体験をベースとした作品である。(『東京モノローグ』に《精神科入院患者としてわれに歌あり茂吉にあらざりしもの》というような歌があった。)前者は4作品の中で一番長く読みごたえのある作品、後者は愛すべき掌の作品だ。

「入り日」は、病棟で同室となった「沼尻さん」に焦点を合わせた作品で、「沼尻さん」が「滅びです」と言うので「私」は人類の滅びのことかと思ったら、彼は「一緒に死んでくれませんか」と言った、というようなシーンが、いたく印象に残る。

「躁鬱連盟」は、これはもう体験者でなければ書けないストーリーで、精神科の入院患者間にも「世間」はあって、その模様が活写される。ふつうの「世間」とは多少のズレがあるようにも思うが、読んでゆくうちに、案外そんなズレは何ほどのことでもないのではないか・・・、という気分になる。ここでは宮田さん(をベースとしたとおぼしき人物)は、語り手の「高原恵さん」から「宮田のおじさん」として描かれている。のっけから「オナラの話」だったり、また、風呂場で大便を漏らす話、女が全裸になって両股を開く話・・・、というようなネタも挿入されるのだが、歌会の席では謹厳実直そうな(あまりに謹厳実直なのでかえってそれがユーモラスに感じられることもあるのだが)宮田さんが、こんなことを書かれるんですね、いや、まあ、人間ですものね、とちょっとニヤリとしてしまったりした。ただ、女が全裸になったりしてもそこにはエロティシズムは漂わない。なんだかきわめて事務的な所作のように描かれていて、エロティシズムはハナから宮田さんの守備範囲外ということなのだろうか、と思った。

「躁鬱連盟」には、語り手の元恋人だった「陽児さん」が詠んだ歌というふれこみで、何首かの短歌も挿入されている。

なお、宮田さんの歌集『東京モノローグ』については、2010年4月3日の日記(*)をご参照ください。
(*)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1453359779&owner_id=20556102
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2013年06月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      

最近の日記