境内に楠正成像があります。そういえば神社の紋が菊水だったな。しかし楠公が高鴨神社とどう関係があるのかは分かりません。
御由緒にはこうあります。この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神としていつきまつった社の一つであります。『延喜式』神名帳には「高鴨阿治須岐詫彦根命神社」とみえ、月次・相嘗・新嘗の祭には官幣に預かる名神大社で、
2015年3月21日に前から気になっていた風の森神社へ行って来ました。正直場所がはっきり分からなかったので、まずは高鴨神社へ行き、そこから探します。平成の大修造の看板があります。これでいくと、3000年前からある、日本最古の神社の一つという
道の駅大和路へぐりでお土産を買いました。梅干、よもぎ団子、にんにく焼味噌です。よもぎ団子は美味ですね。今回は結構歩きました。くたくたです。17662歩です。これで2015年2月28日の日記を終わります。
12時42分、道の駅に戻って来ました。平群は殆ど回ったつもりですが、これで見るとまだまだ見てない場所はある様です。今度は反対側の山を攻めてみようかな。とりあえず千光寺が良さそうです。
途中、不思議な石仏を発見。お地蔵様でもないし、磨崖仏?椿井村の西入口に祀られた線刻の笠石仏。角柱状の石材を壷形に彫り込み、如来立像を線刻し、上部に扁平な自然石を乗せる。高さ94.5cm、幅44cm、彫り込み71×29cm、仏身58.5cm。顔から胸の部分が信者が
途中小さな神社を発見。でも何神社かは分かりません。狛犬が特徴的です。横向きではなく、縦向きですね。それに少し傾いてるのかな?台座の上の社の土台が斜めになってます。
12時24分に宮裏山古墳に到着しました。宮の裏山にあるから宮裏山古墳なのでしょうか?古墳の入り口から登りだすと、椿井城への道と合流しました。古墳は後ろからも土砂が入り、ほぼ崩れています。矢田丘陵から東に延びる尾根上に築造された直径約15m、高
椿井春日神社の参道、常念寺 の前に地名の興りとなった古い井戸がある。これが「椿井井戸」で、今も清水が湧いている。井戸の横には、文政 4 年(1821)の立派な石碑が立てられている。この井戸には、椿井氏の祖先と伝えられる平群神手将軍の逸話が伝えられ
10時42分、平群神社に到着。御祭神大山衹神は山野を司る神で、平郡氏の祖武内宿禰が神宮皇后と共に朝鮮へ出兵の際、戦勝を祈願しこの地に祀ったと伝う。のち五穀豊穣と、武運長久、家内安全の守護神として信仰をあつめ今日に至る。延喜式神名帳に「
体力と時間が余ったので、線路の東側、山裾を攻めてみる事にしました。平群中央公園を発ち、東へ、線路へ向かって下ります。途中、来迎寺なるお寺を通ったので、寄ってみました。由緒板があったのですが、全く読めません。
石室の左横に小さな神社が設けられてます。それだけ大事にされてるという事でしょうか?それとこの古墳ちょっとピラミッドの様。明日香の都塚古墳に似ています。
10時16分、西宮古墳に到着。ここは石室の中に入れます。廿日山丘陵の南側斜面、中段に築造された方墳。一辺約36mあり、二段のテラスを配して三段に築成されている。墳丘の左右と後方の三方に堀割を廻らし、周囲の地形を大きく取り込んだ墓域を有する。
9時53分に烏土塚古墳を発ち、10時7分に平群中央公園に到着。前回はここまでは来たのですが、西宮古墳を発見出来ませんでした。
石室はどこかな?と思っていると、下へ降りる階段を発見。かなり立派な石室がありました。平群氏の族長クラスでしょうか?
烏土塚古墳のテッペンからの景色は良い。元々が高台の上にある古墳である。東の峰の山頂に旗が立っている。気になります。
竜田川の西岸、南北方向の独立丘陵に築造された北面する前方後円墳。墳丘は全長60.5m、後円部径35m、高さ約9m、前方部幅31mあり、平群谷最大規模の古墳。墳丘は一段築成で葺石はなく、墳頂寄りに1.5〜2m間隔で円筒埴輪を並べていたらしい。墳丘西裾で
前回行けなかった烏土塚古墳を目指します。しかしこれが良く分からない。でも親切なおじさんが教えてくれました。行きしなに通った道のすぐ横だった様です。結構行ったり来たりしましたが、烏土塚古墳に行き着きました。
前回行き着けなかった古墳。今回は何とか行けました。それでも中々分からず、結構さまよいました。新興住宅街の中に唐突に現れました。でも、流石大和です。古墳をよけて住宅街を作るのですね。西から延びる尾根地形の先端 付近に築造された直径23m、高さ約
消渇神社からの移動中、気になる井戸を見付けました。消渇神社御神水とあります。中には綺麗な水が湛えられてます。後で分かった事ですが、この井戸には色々説がある様です。【石床の井戸】越木塚南垣内20余戸の飲料水として大切にされてきた神の水。雷がこの
同じ敷地内の石床神社を参拝。大正13年(1924)に旧社地より現在地に遍座されました。拝殿の奧には神籠石がおかれていて、巨石信仰を窺わせます。祭神;中殿:饒速日命、右殿:太玉命、左殿:素戔嗚命現在、中殿は劔刃石床別命(石床の神)
ここには団子セットが揃ってます。土も揃ってるみたい。なので、ここで土団子が用意出来ます。地元の方が準備してるのですね。
消渇神社へ上がる1段下に団子を作る場所があります。最初はこれは何だ?と思ってたけど、神社に行って理由が分かりました。
願掛けには境内階段下の屋形で土の団子を12個作り、供えて祈願。願いが叶うとお礼に米の団子を12個お供えするそうです。