ノンデュアリティオートマチックとは
信心銘から
一なるものをしらなければ
静(静寂)動(活動)、正否(真理と非真理)ともにその自由な働きを失う
一なるものとは
概念でも意識でもなく、探究エネルギー(わたし)以前の
深い自然の記憶(平安)
(私が)心の活動を止めようとしても
(私の)その努力がさらなる活動をもたらす
(私による、色や空の概念の)対極の一方を選んでとどまるかぎり
一なるもの(すでにあるノーマインド)
をしることはできない。
私が静かにしようとか
私は騒がしくしようとか
そのような自我による不自然なコントロール
ではなく
すでにあるノーマインドのオートマチック
にまかせていることがノンデュアリティオートマチックである
物事の現実性を否定すればその現実性(じつは源のエネルギーを借りている現象)を見失い
空の概念にしがみつけば空(すでにある自然)の原理(によるオートマチック)を見失う
もちろんまだ作為(私)があるときは
源からオートマチックにそれも起きている
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