mixiユーザー(id:68021579)

2023年02月09日05:39

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方便のおわりに

スピリチュアルの本では
方便として、信念、思考を与え
られる

ほんらい
在るがままの記憶(平安)のために
信念、思考体系は必要ない

ノーマインドの記憶は
努力が必要ないからである

しかし
その沈黙(平安)の癒しがわからない
マインドや自我への信念がある場合

方便として
「あなた」は神の子であると語ら
れる
(ほんとうは「あなた」などいないのだが)
さて、この「わたし」は
信念を与えられる
聖霊とかハートという源のための概念である。こうして
スピリチュアルな本、信念、思考体系ができあがっていくことになる。)

ほんとうは方便にすぎず
実相においてすら
神の思考というもの、神のキリスト
という二元は
存在しないため

神の子であるあなたはいない
夢のあなた(神の子)がいるかぎり
その「わたし」は神の子であり、
「わたし」は対象である神と一つである

無意味な思考、信念がありつづける

しかし
ノーマインドの記憶(平安)には
信念、思考努力はじつはいらない
(最終的にはスピリチュアル本は必要ないのである。スピリチュアル的信念、思考体系、メソッドという努力が必要ない。)

そうして真実はナチュラルスピリットが
ただ在るのみである 

その真実からの平安によって
夢という世界は癒される

いかなる本も、セッションも、対話も方便にすぎず
その真の意味はただ平安

そこには
いかなるわたしの依存もありえない

平安こそがみずからのかたちなき記憶だからである






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