1979年。新人小説家としてその将来を嘱望されていた河村季里氏が、女優関根恵子(現高橋惠子)さんを従え、タイのバンコクへ突然の逃亡劇を謀ったことがあった。当時、関根さんはまだ24歳であり、予定されていた舞台出演を放り出しての失踪であったがために、
神楽坂の『とんかつ さくら』で今週二度目の夕食だ。この店のヒレかつが柔らかでジューシーで頬っぺたが落ちちゃうよ〜。と、とにかく美味すぎるぅ!!
仕事がら、ほぼ毎日のように全国のユーザーの方々から問い合わせのお電話をいただく。反射的に猫なで声で応対してしまう自分がマジでキモイ。
徒然なるままに日暮らし硯(すずり)に向かいて心に映りゆく由無し事をそこはかとなく書きつくれば怪しうこそ物狂おしけれ 吉田兼好 とにかくヤクルトを飲みながら自分の大切なことから逃げないことだけを誓う秋の夕暮であることよ。 ヤクルト健康
母の病室でちょっとだけ憩いのひととき。妹が買ってきてくれた早大の角帽と野球帽のカタチをしたケーキをいただきました。早大文学部OGで、現在本キャンで早大事務局勤務の妹が大学近くのケーキ屋さんで購入したものです。思いの外美味しかったです!!(角帽
僕が毎月主催しているパーティーでの話だ。その日は僕がお気に入りのあの子も参加していたので、僕はいつもより身だしなみに気を配っていた。履くだけで7cm身長がアップするシークレットシューズを履いていた。そして頭部には帽子を被るようにヅラを被った
息子の広島のお土産。広島みはら銘菓『八天堂』。創業昭和八年の歴史の重みをまったく感じさせない、とても現代的でお洒落なスウィーツだった(笑)。「美味い!! もっと食べたい」と言ったら、「東京駅にも売ってるよ」と息子に言われた。
駅のプラットホームの自販機で『ミルミル』を買って飲んだ。突然飲みたくなってどうしても我慢できなかった。一緒にいた妻に止められるのもかまわず飲んだ。飲んだあとパッケージを見たらビフィズス菌、BY株が100億個以上入っていると書いてあった。100億
同僚の結婚披露宴が破談のために中止となったが、息子は昨日東京にやって来た。飛行機とホテルが直前過ぎてキャンセル出来なかったらしい。 息子は祖母が入院する病院に直行してくれた。そのまま日曜まで付き添いを続けてくれると言う。意識のない祖母の
息子が今週末にまた上京する。会社の同僚の結婚披露宴に出席する予定があったためだ。「出席する予定があったため」というのは・・・一昨日、その同僚から突然息子のもとに電話が入り、破談になったことを告げられ、当然のごとく週末の披露宴もなくなったこ
この1週間、病院に通い詰めで大変な1週間だったけど、親を送ることとはこういうことなんだろう、とも思う。母はいまも病いと闘い続けているが、そんな母のベッドの側で、妻も妹も、そして僕もこれまでの母にまつわるいろいろな出来事を思い出し、語り合いな
病室で妻が窓外を望みながら、意識がないままの母にせめて中秋の名月を見せてあげたい、と言う。僕は「そうだね、お母さんはきっと幼いころの君と一緒に見た月を夢の中で思い出していると思うよ」と声を掛けると、突然泣き始めた。
義母の特別病室の隣室が、どうやら出版界の重鎮の病室であることを知った。面会時間には引きも切らず見舞客が訪れている。見舞客の多くはたいてい二、三人単位で訪れる。中には着物姿の女性もいたりする。いくらなんでも、これでは患者さんの気が休まること
中村橋之助でございます。この度の件、誠に不徳の致すところでございます。この世に『週刊文春』と『週刊新潮』が存在する限り不倫は御法度だということを失念しておりました。かえすがえすも不覚をとりました。 それにしても文春さんや新潮さんの編集部の
妻を連れて神楽坂の老舗蒲焼店『たつみや』で夕食をとった。病床の母の付き添いに疲れた妻に少しでも栄養をつけてもらいたい、と思ったのだ。 このお店は、かつて文豪横光利一さんや森敦さんに愛され、ジョン・レノン、オノヨーコ夫妻も訪れたことで有名な
7月14日の緊急入院以来、順調に快復しつつあった義母。近頃ではリハビリに努めながら退院も間近だった。ところが昨日深夜に容態が急変し、意識不明のうえに一時は呼吸停止となり集中治療室に運び込まれた。広島にいる息子も今、東京へと向かっている。昨日
明日は僕が減量を始めて12日目です。何とか予定通り3kg減量達成の見通しです。ボクシングのように試合期日とリミットのない減量は楽だなぁ(笑)。 このまま10月8日まで減量を続行する予定です。
最近、郷里の母からちょくちょく電話が入るようになった。それでいて、何か用があるわけでもなく、ただ単に僕が元気でいるのかどうか? それだけが心配らしいのだ。 実は郷里の両親には自分が病に倒れ入院したことを黙っていた。兄にはその事実をひとまず
飯田橋 『揚州商人』のスーラータンメン。このタンメンにハマってからというもの、俺は毎週のようにコレを喰っている。やめられない、止まらないのだ。この世にこんなにも俺を感動させてくれる食い物があったとは、さすが中国四千年の歴史であることよ。シ
僕は昨年11月にクモ膜下血腫、今年1月に脳挫傷で入院した。 一時左腕が動かなくなるし、喋れなくもなった。そして記憶力までもがズタズタになった。まさに絶望を味わったのだ。まだ完調ではないが、それでも幾分快復し僕は何とか生きていることが出来る。