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2008年05月20日02:04

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帰郷

そろそろ軍資金が底をついてきたので、将来のことを真剣に考える必要が出て来た。当面の問題は、博士課程を修了した後、こちらに残って仕事を探すか、日本に帰って就職するかである。

私の力量ではこちらの労働市場でまともに勝負できるのかどうか不安である。でも、「故郷」にも既に自分の居場所はないのではという気もする。

こんなことを考えていたら、萩原朔太郎の「帰郷」(『氷島』に収録)という詩に出会った。

歸郷
昭和四年の冬、妻と離別し二兒を抱へて故郷に歸る

わが故郷に歸れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探(さぐ)れるなり。
鳴呼また都を逃れ來て
何所(いづこ)の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未來は絶望の岸に向へり。
砂礫(されき)のごとき人生かな!
われ既に勇氣おとろへ
暗憺として長(とこし)なへに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に獨り歸り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒(いきどほり)を烈しくせり。
(青空文庫より転載)

田舎のしがらみを断ち切って新しい人生を切り開こうと都会に出て来たが、そこでの生活というのは胸に抱いていたものとは違って孤独で厳しいものであった。貧乏暮らしでかみさんには駆け落ちされるわで、傷心で故郷の前橋に向かう列車の中。でも、故郷に自分が求めるものがないことも知っている。

個人的なエピソードを詩に詠んだと言ってしまえばそれまでだが、「都会」と「故郷」の対比は、実は「近代」と「伝統」、「未来」と「過去」の対比の隠喩でもあるらしい。

「近代」と「伝統」のいずれにも属することができずにその狭間を行き来する我々。朔太郎自身、この心理的不安から逃れるため「日本的伝統」へ回帰していく。でも、心の奥底ではそんなものは存在しないことも知っている。

この存在しない「故郷」への帰郷というは、日本近代史の中で繰り返し問われる問いである。日本浪曼派のもう一人の詩人伊東静雄の「帰郷者」(『我が人に与ふる哀歌』収録)。

帰郷者

自然は限りなく美しく永久に住民は
貧窮してゐた
幾度もいくども烈しくくり返し
岩礁にぶちつかつた後(のち)に
波がちり散りに泡沫になつて退(ひ)きながら
各自ぶつぶつと呟くのを
私は海岸で眺めたことがある
絶えず此処で私が見た帰郷者たちは
正(まさ)にその通りであつた
その不思議に一様な独言は私に同感的でなく
非常に常識的にきこえた
(まつたく!いまは故郷に美しいものはない)
どうして(いまは)だらう!
美しい故郷は
それが彼らの実に空しい宿題であることを
無数な古来の詩の讚美が証明する
曾てこの自然の中で
それと同じく美しく住民が生きたと
私は信じ得ない
ただ多くの不平と辛苦ののちに
晏如として彼らの皆が
あそ処(こ)で一基の墓となつてゐるのが
私を慰めいくらか幸福にしたのである
(青空文庫より転載)

存在しない美しい「故郷」を求める我々の愚かさもまた悠久の「自然」の一部に過ぎない。そこにある種の救いを見いだす伊東。でも、「故郷」というのが共同の「墓」に例えられていて、運命主義的なあきらめが漂う。

「帰郷」して、墓参りにでも行って、ゆっくり風呂にでもつかりたい気分だけど、今年の夏は航空賃が高くて、家族3人で帰国するのはきついな。
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