ここで「大人」と「子供」の定義が問題となる。
大人とは他者(外見、ヒトに見えるもの、拡張して動物や虫なども)が、自分と同じ意思と感情を持っている存在として尊重できる者、と定義しておこう。
とすると子供とは、尊重がまだ十分に育っていない状態(実際にはグラデーションを持つ、つまり個々の程度の差はある)と言い換えることができる。
他者を自分の欲望をかなえるための手段としてしか見ない。これは、架空請求やオレオレ詐欺をする、はっきりした触法犯だけではないだろう。
他人を危険な状況に追い込んで、その自らの行動に何の反省を見せない者も、謝罪を装うだけの者もそこに含めてよいと私は考える。
原始時代のヒトは、そんな態度を身につける生活の余裕すらなかったかも知れない。
原子力時代のヒト(具体的に言えば、今も続く相互確証破壊MADの中で正気でいる人々)は、そんな慎みを身につける人間関係の学習をしなくて済むようになっただけかも知れない。
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