『女の一生』で有名な、ギー・ド・モーパッサンの短編小説『脂肪の塊』は、おそらく誰もが認める傑作であろうと思われます。
この作品は何と言っても、その舞台設定が絶妙でした。
戦争から逃げ延びようとする人々が乗り合わせた馬車の中という舞台設定は、これだけですでにこの作品の成功が半ば保障されたようなものです。これにより出自も身分も異なる人々が、どうしても面突き合わせて一定の時間を過ごさざるを得ない空間が自然に現出され、そこに外部の戦争の影響も絡ませることが出来ます。小説家、脚本家等の創作活動をする人なら、モーパッサンでなくても大いに創作意欲を搔き立てられる設定ではないかと思われます。
馬車内の空間は、近年(といってもかなり前のことになりますが)で言えば、ブルートレイン(寝台特急)にわずかにその名残があったように思われます。夜になって寝台が準備されるまでは、6人が3人ずつ向かい合う形で座っていて、そこで飲食も普通にしましたから、「これ食べる?」と菓子や弁当を分け合ったりして、それをきっかけに会話がはずんだりしたものでした(座った途端に誰もがスマホを取り出し一人の世界に閉じ籠る今では考えられない光景が昔は普通に見られたんですね)。
もっとも、あんまり和気藹々としていてはドラマにはなりませんから、『脂肪の塊』では、食料を持って乗り込んだのが娼婦だけだったり、女を抱かせることと引き換えに通行を認めると理不尽な要求をする敵国の士官が馬車を留め置いたり※といった出来事が起こります。これによって、戦争に直面した人々が剥き出しにする、残忍なまでの自己中心主義、偽善、さらには階級社会の矛盾がこれ以上はないと言ってよいほど暴き出されるのですが、その手腕は見事と言うほかありません。
今日は、読書の日(「読書週間」の1日目の日)です。まだ未読だったら是非一読をお勧めします(あとがきとかを含めてもわずか100頁にも満たない)。
ところで、これほどの作品なので、映画化された例は昔からありました。
例えば、ソ連のサイレント映画の『Pyshka』(1934 監督:ミハイル・ロム)や、トーキー以後もフランス映画の『Boule de suif(邦題:脂肪の塊)』(1945 監督:クリスチャン=ジャック)という作品がありました。特に後者は、原作を最もストレートに映画化した作品と云われています。
ただ、上述のように、脚本家の創作意欲を掻き立てる原作であるだけに、その原作に忠実であるより、適宜脚色されるケースがあり、その最も有名な例が、1939年のアメリカ映画『駅馬車(Stagecoach)』(監督:ジョン・フォード)です。
言わずと知れた西部劇の傑作ですが、この作品の原作は公式にはアーネスト・ヘイコックスの短編小説『ローズバーグ行き駅馬車(The Stage to Lordsburg)』(日本語版:ハヤカワ文庫『駅馬車』/井上一夫訳)とされているものの、監督のフォード自身は後にこの映画の発想源はモーパッサンの『脂肪の塊』だと語っています。
もっとも、この脚色があまりにも素晴らしかったためか、『駅馬車』に匹敵するほどの有名な『脂肪の塊』脚色作品は作られていないようです(『ナチスに挑んだ女』 (Mademoiselle Fifi 1944 監督ロバート・ワイズ)等、作品としてないわけではない)。
と思っていたら、『駅馬車』より4年も早く、なんと日本の溝口健二監督がすでに脚色してました。 『マリヤのお雪』という作品で、現在You Tubeでも視聴可能です。
https://www.youtube.com/watch?v=cWFLIJKD31g
この作品では、舞台設定を日本の明治維新(西南戦争)に置き換えて、特に前半は『脂肪の塊』とほぼ同様の展開が見られますが、後半では『脂肪の塊』で理不尽な要求をする敵国の士官が、政府軍のまともなイケメンに置き換えられ、馬車で逃げていた娼婦がこれに惚れるという展開になっています。
これは、溝口監督が描く女性のタイプの一つです。男に尽くし、社会の犠牲となり、身を持ち崩したり極限まで貶められたりしますが、それでも情を忘れないひたむきな女性、すなわち男の立身出世を助けるために喜んで身を捧げ、自己犠牲を遂げる女性です。
私は溝口監督の作品は『瀧の白糸』(1933)で初めて知ったのですが(この作品も現在You Tubeで澤登翠さんの活弁で視聴可能です(
https://www.youtube.com/watch?v=1rg5S3ePYyc))、その作品で描かれた入江たか子演じる主人公もそんなタイプの女性でした。
なので、ジョン・フォードより4年も早く『脂肪の塊』が日本人監督によって脚色されていた事実を知った時は少々驚きましたが、それが上のように脚色された溝口監督が撮ったと分かって、あぁやっぱりとも思いました。
個人的には、『マリヤのお雪』には一つの発見がありました。上掲動画の17:56あたりから流れる音楽が、ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」ではないかということです。
ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」
https://www.youtube.com/watch?v=pN5HkhrWrLk
溝口監督がこの場面で「中央アジアの草原にて」を使った理由そのものは分かりませんが、ここで同曲が使われたことがなぜ発見であるのかというと、私は、映画とクラシック音楽に関する日記を書くときには、しばしばこちらのサイト(
https://funakoshiya.net/musik/classics.htm#ho)を参照しているのですが、ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」については、「(未だ使用映画が見当たらず)」と記されていたからです。先日のAI(
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1992898367&owner_id=22841595&from=list_diary_title)じゃありませんが、ウソ言っちゃいかんよ。
※ 昨年公開された映画『黒川の女たち』でも、満州から引き上げる途中でソ連兵に性接待を強いられ、犠牲になされた女性がその後不当に差別、蔑視された様子が描かれていました。こうしたことは戦争には付物の悲劇と言えるでしょう。
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