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2026年10月22日16:14

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最初の一人 

 今年はパブロ・カザルスの生誕150年にあたる年です。
 この人の生涯を特徴づけるものは“最初の一人”であったことではないかと思われます。
 例えば、わずか13歳の時にマドリッドの楽譜屋でバッハの『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の古びた楽譜を発見し、12年にわたる研究と研鑽の歳月を費やした後、公開演奏を行って、それまで単なる練習曲扱いだったこの作品が実は音楽史上稀有の名作であることを世に知らしめた偉業は今も広く知られています。云わばこの曲を再発見した“最初の一人”だったわけです。
https://www.youtube.com/watch?v=5GBH3K-ZAU8

 それだけではありません。この人は、チェロの近代奏法の開拓者(最初の一人)でもありました。
 音楽評論家の中野雄氏は次のように述べています。 

…カザルスという音楽家が、“チェロ”という、音楽の低音域を受け持つ大型楽器・近代奏法の開拓者であることは余り知られていない。例えばカザルス修行中の一九世紀末、弓を持つ右手の肘は体の側面に密着させる奏法が一般的で、信じられないような話であるが、初心者はエチュード練習中は本を上腕と体の右脇で抱えることを強制されていたという。右腕全体を柔らかく、大きく使う現代運弓法の創始者の一人はカザルスである。左手と左指のリラクゼーションを唱え、速いパッセージの演奏を容易にしたのもカザルスであると言われており、彼の出現によりチェロという楽器がステージで急速に市民権を獲得することになる。楽器の音は朗々と、また深々と響くようになり、左指で押さえる速いパッセージの正確さも飛躍的に向上した。右上腕を固定し、手首を多用する古式奏法にもそれなりのメリットはあるのだが(急速なスタッカートなどが容易)、コンサート・ホールの大型化傾向の中でチェロの音を会場の隅々にまで届かせるためには、カザルスのような革命家の出現は時代の要請だったと言えるかもしれない。
(クラシックCDの名盤 演奏家篇/宇野功芳 中野雄 �禿臂篭魁癖檎砂媾�社)P248〜249)

 この近代奏法を駆使して、カザルスは、バイオリンのティボー、ピアノのコルトーといった達人たちと組んで、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番『大公』の名演を遺しています。
https://www.youtube.com/watch?v=GCS9bURe3y8

 とりわけ、コルトーとは親友の仲だったのですが、1933年、ヒトラー率いるナチスがドイツで政権を握ると、カザルスは親ナチだったコルトーと袂を分かつことにならざるを得ませんでした。そして、ナチスによるユダヤ人や障碍者に対する迫害に激しく抗議し、ドイツ国内での一切の芸術活動(演奏)をボイコットしました。
 この姿勢は、スペイン内戦(1936〜1939年)の結果、ファシズム的なフランコ独裁政権が誕生した時にも毅然として徹底して貫かれます。
 カザルスは南フランスのプラードに亡命し、スペインの自由と民主主義が回復するまで母国には戻らないと誓いました。が、イギリスやアメリカなどの連合国(各国政府)がフランコ独裁政権を事実上容認・支持する姿勢をとったことに激しい失望を覚え、「民主主義が戻るまで、公開の演奏会には一切出演しない」と宣言し、第一線からの引退(ボイコット)を強行しました。これを惜しんだ世界中から破格のギャラで出演依頼が殺到しましたが、カザルスは頑なに拒否し続けました。
 ナチスやフランコ政権に抗議したり、亡命したりした芸術家は、画家のピカソ等、他にもいましたが、ここまで徹底した強い姿勢を貫いたのはこの人ぐらいなものでしょう。全体主義政権に対してここまで強い態度で抗議した芸術家はカザルスが“最初の一人”だったと言ってよいと思われます。
 もっとも、ここまでくると、すごく立派だと思う反面、傍にいたら、少々煙たい、敬遠したいと感じる人もいるかもしれません。でも、現実には必ずしもそうではなかったようで、自伝には、いったん袂を分かったコルトーとの間で後年起こったこんなエピソードが書かれているそうです。

〜プラードへ帰還後、突然のエピソードか突然の驚きとともに暗い戦争中に私を引き戻した。
 ある朝、プラードの家にいたが、誰かが玄関のドアをノックした。
 私がドアをあけるとアルフレッド・コルトーが立っていた。
 彼を見ると私はひどい痛みを感じた。
 悲しい過去の日々が、まるで昨日おこったかのようによみがえってきた。
 私は立ってお互いに顔を見合わせたまま、ひとことも言わなかった。
 私は手招きして彼を部屋へ入れた。
 彼は、ぽつりぽつり話し始めたが、目を伏せたままだった。ひどく老けてしまってい た。またひどく疲れているように見えた。初め彼は自分の犯した行為を弁明しようと、もそもそ話しだしたので、私は止めさせた。
 すると、せきを切ったように、「ほんとなんだ、パブロ。世間で言っていることは本当なんだ。私はナチに協力したんだ。私は恥ずかしい、ひどく恥ずかしく思っている。君に許しを乞いにやってきたんだ…」これ以上なにも言えなくなった。
 私も同じだった。私は彼に言った。
「君が正直に言ってくれて嬉しいよ。だから君を許すよ。握手しよう。」〜

 この話は、カザルスの人間としての器の大きさ、懐の深さを示すものとして挙げられることがあり、まぁそうかなとも思うのですが、むしろなぜコルトーがこうした告白をする相手としてカザルスを選んだかに注目したいと思います。コルトーにしてみれば、辛いことであっただろうと思います。弱い人間やずる賢い人間だったら、目をつぶったり、ごまかしたりすることも出来たかもしれません。
 でも、ちゃんと自分に向き合い、正直に誰かに告白せずにはいられなかったところが、コルトーの偉いところです。そして、そうした自分の思いをしっかりと受けとめてくれる相手として、コルトーにはカザルス以外の人は考えられなかったのではないかと思われます。でなければ、自分がかつて協力したナチスに最も強硬に反対し抗議していた人の許にわざわざ出向くこともなかったことでしょう。
 「あの人の前では偽りなく正直な自分でいたい」と感じさせる一種の人徳がカザルスにはあったということかもしれません。
 実際、上述のようにカザルスが事実上引退し、出演依頼を頑なに拒否し続けていたところ、今度は、カザルスを慕う他の音楽家たちが、カザルスの居るプラードに世界中から集まって来て、カザルスを説得し、1950年にバッハ没後200年を記念した「プラード音楽祭」が開催されることになりました。カザルス自身が外の世界へ出向くのではなく、「世界中の音楽家がカザルスの許へ集まる」という形で、音楽祭が実現されたのです。体調や年齢上の理由で動けなくなっていたわけでもない一人の音楽家のために世界中の音楽家が集まって開催された音楽祭というのは前代未聞であったことでしょう。ここでもカザルスは“最初の一人”であったわけです。
 これほどの人物であるから、後年、国連やホワイトハウスで世界平和を居並ぶ各国の為政者に訴え、カタロニア民謡『鳥の歌』を弾いた話が、単なるお涙頂戴な話には終わらず、強い説得力を持って人々の心に響くのです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZGvH4qG50XU

https://www.youtube.com/watch?v=upd7U_dvfvU


  創始者、創業者、開拓者等の“最初の一人”は、数多くの苦難を潜り抜けて前人未踏の分野を切り開いてきたことが多いだけに、その生涯には余人の追随を許さない(真似の出来ない)並外れた逞しさ、器の大きさ、未知の分野に挑戦するワクワク感が感じられることがあります。音楽家の場合、それはしばしば作品の演奏にも表れているように感じられます。そこで、最後にカザルスについて個人的にそのように感じられた例を2つ挙げておきたいと思います。

・ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番(ピアノ/マイラ・ヘス、バイオリン/アイザック・スターン)
https://www.youtube.com/watch?v=2Av2mpOGe2I&t=957s(特に第1楽章)

 この演奏については、吉井亜彦氏(音楽評論家)が次のようにコメントしており、私もほぼ同感です:…完成度が高いとか、アンサンブルが整然としているというようなタイプの演奏ではないが、カザルスの強い存在感が全体をおおい、たくましい音楽性に貫かれた演奏となっている。全体が大づかみされた演奏でありながら、細部に至るまでよく目線が行き届いており、それでいて神経質になるようなことがない。大柄で、疵を探し出そうと思えばいくつか見つかるような演奏だが、それでも聞いているうちに深い奥底へといつの間にやらひきづり込まれてしまう不思議な魅力を持っている。今日のヤワな演奏家たちには、やろうと思ってもとてもできないような演奏である。(クラシック名盤&裏名盤ガイド(洋泉社)P46)

・モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」の第4楽章
https://www.youtube.com/watch?v=2f9R2R2j6lc(23:12 ~)

 カザルスの晩年の音楽活動は指揮活動が中心となりましたが、マールボロ音楽祭管弦楽団を指揮したこの演奏は90歳を超えてなされたものであるにもかかわらず、少しも枯れた感じがせず、それどころか決然と挑みかかるような気迫さえ感じられ、最も勇壮なモーツァルトと言ってよいでしょう。その年齢でここまで骨太で力強い指揮が出来たとは、その逞しさに畏れ入るばかりです。この演奏についても上記の吉井氏のコメントが当てはまりますが、ここでは、特に楽員一人一人が無我夢中になって演奏している様子が手に取るように分かります。上手く演奏しようとか、カザルスのためにいい演奏をしようとかの余計な邪念はなく、楽員一人一人が無の境地で誠実に音楽に向かい合っている様子がひしひしと伝わって来ます。同時にここまでの無我夢中さ(人間の最も美しい瞬間)を引き出すことに成功したカザルスの人間としての器の大きさが聴く者に圧倒的迫力をもって迫ってくるのです。

 今日はカザルスの53回目の命日です。
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