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2026年09月07日04:03

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映画「ラスト・サバイバー」

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公開を心待ちにしていたリドリー・スコット監督最新作『ラスト・サバイバー』(2026年、原題:The Dog Stars)を観た。最近は、核戦争や伝染病のパンデミックによって文明社会が崩壊したあとの終末世界を描いた映画のことを「ポストアポカリプス・ムービー」というらしい。子どもの頃、チャールトン・ヘストン主演の映画『地球最後の男 オメガマン』(1971年、原題:The Omega Man)を観て以降、私は終末世界を生きる主人公を描いた映画には特別の思い入れがある。前述の『オメガマン』をはじめ、リメイクの『アイ・アム・レジェンド』(2007年、原題:I Am Legend)、デンゼル・ワシントンの『ザ・ウォーカー』(2010年、原題: The Book of Eli)、ヴィゴ・モーテンセンの『ザ・ロード』(2009年、原題:The Road)、さらには大活劇と呼ぶべき『マッドマックス』や『バイオハザード』シリーズも忘れられない。いずれも面白い作品だった。しかし、『ラスト・サバイバー』をリドリー・スコット(88歳)が監督する以上、これら従来の映画とはかなり違ったものになるだろうと確信した。原作はピーター・ヘラーの小説『The Dog Stars』(2012年)で、日本では『いつか僕が帰る場所』(2015年、早川書房)として翻訳本が出ているが未読。


【物語】 2035年、アメリカ。恐るべき感染力をもつ謎の伝染病が猛威をふるい、人類の大部分は死滅。文明社会は跡形もなく崩壊し、地上は弱肉強食の完全な無法地帯と化す。弱い者たちは、力の強い者に奪われ、殺される「この世の地獄」だった。優秀な整備士で、パイロットでもあるヒッグ(ジェイコブ・エロルディ)は愛犬ジャスパーを連れ、コロラド州エリーの拠点から旧式の小型飛行機セスナ182で荒廃したデンバーに向かうと、道路上に着陸。隠しておいたEV駆動のゴルフカートで朽ち果てたガソリンスタンドに移動し、地下貯蔵庫からガソリンを汲み上げて、何個かのポリタンクに給油。全てのポリタンクを満タンにして荷台に乗せた後、彼は州政府の建物に向かう。途中、見慣れない記号のような異様な落書きが壁一面を覆っているのを発見。スマホのカメラで何枚か撮影する。いったい、誰がなんのためにそれを描いたのだろう。いぶかしみながら、彼はジャスパーを連れて、州政府の建物に入り、施錠しておいた倉庫から医薬品を取り出した。その時、彼の身体をボウガンの矢がかすめ、危うく突き刺さるところだった。「誰だ!」彼は背中にまわしたアサルトライフルを構えると、襲撃者のあとを追跡する。

 ヒッグが階段を静かに上がっていくと、物陰から男の叫び声がした。「あの飛行機はお前さんのか? まだ、飛べる飛行機があるとは思わなかった。命が欲しければ、飛行機のキーを置いて立ち去れ。命まではとらん。どうせ、その銃には弾丸が入っていないんだろう」 黙って最後まで男の言葉を聞いていたヒッグは、声のする方に一連射を浴びせた。襲撃者は驚いて、ひっくり返り、大きな物音がした。ヒッグは素早く移動すると、男にアサルトライフルの銃口を向けた。「本当に弾丸が入っていたとは!」 倒れているのは歯が抜けた白髪の老人だった。「そっちはボウガンの矢は尽きたようだな」とヒッグ。彼は脅威を排除したと判断し、銃を下ろした。老人は手を挙げたまま、深く息を吐いた。間違いなく、射殺されると思っていたのだ。「俺も一緒に飛行機に乗せて行ってくれ。ここはもう危険だ。今までの生き残り集団より桁違いに狂暴で見境なく殺し、奪う無法者たちが大挙して西から東へ移動している」 ヒッグは老人を殺す気はないが、連れて行く気もなかった。見知らぬ者は信用できず、危険だからだ。

 ヒッグはセスナに向かう前に寄りたいところがあった。そこは死んだ妻と暮らしていた自宅だった。妻の最期を看取ったベッドに座ると、彼は妻の思い出に浸ることができた。デンバーに来るたび、彼はこの自宅に寄り、生きる力を新たに得ていた。妻との思い出と愛犬ジャスパーの存在だけがヒッグの心の支えだった。

 ヒッグはガソリンが入ったポリタンクと医薬品をセスナに積むと、ジャスパーを乗せ、離陸。眼下には人っ子ひとりいない荒れ果てたデンバーの街が広がっている。エリーの拠点に戻る途中、ヒッグはメイノー教徒達が生活するコミュニティ近くの草原に着陸した。そこは飛行機以外に行く手立てのない隔絶した山上にあり、どこよりも安全な場所だった。コミュニティのリーダーはアジア系のアーロン(ベネディクト・ウォン)で、あとは女性達と数十人の子どもが生き残っていた。「また、何人かの大人と子ども達が亡くなったよ」 アーロンは寂しそうにヒッグに報告した。パンデミックがおさまったとはいえ、相変わらず、体調を崩し病気で亡くなる人々は絶えなかった。ヒッグも首を横にふって、嘆くしかなかった。

 発電機が故障して電気が使えないとアーロンから聞き、ヒッグはさっそく、発電機の修理にとりかかった。彼は時々、物資や医薬品をもってコミュニティを訪れ、彼らの生活を援助しているのだった。ヒッグが修理をしている間、子ども達はジャスパーと楽しそうに遊ぶ。ジャスパーにとっても、子ども達になでられ、一緒に走り回る時間が楽しみだった。

 ジャスパーとヒッグがエリーの拠点に戻ると、相棒のバングレー(ジョシュ・ブローリン)は不機嫌だった。「また、モルモンの奴らのところに寄ったのか? あそこには寄らないという約束だったろ」 もと海兵隊員で他人を信用しないバングレーはヒッグが彼らのコミュニティーに寄るのを嫌っていた。「彼らはモルモンではなく、メイノー派だ。それに約束をした覚えはない」とヒッグ。それには答えず、バングレーはヒッグのアサルトライフルとハンドガンをチェックし、発砲したことを確認。「何かあったのか?」と彼に尋ねた。ヒッグは老人に襲撃されたことと、老人が「かつてない狂暴な生存達の集団が移動している」と怯えていたことを報告した。「殺さなかったのか? 生かしておくと、あとでツケが回ってくるぞ」とバングレー。彼は襲撃者も侵入者も容赦なく射殺することが後顧の憂いを断つ、と堅く信じていた。ヒッグはバングレーと協力してこの拠点を維持していたが、必ずしもバングラーのやり方に同意しているわけではなかった。パンデミックを生き延びた生存者達はみな飢え、怯え、人を信じることができないのは当然で、問答無用で射殺するバングレーには賛同できない。人間は信じ合い、助け合うことが必要だとヒッグは考えていたのだ。その日、拠点の敷地内に武装した二人の若者が密かに接近する。バングレーは監視塔の上から彼らを発見、何の警告も与えず、狙撃銃で射殺した。ヒッグが彼らの遺体を確認に行くと、明らかに10代の少年だった。「まだ、子どもだぞ」とヒッグが責めるようにバングラーに言うと、「誰でも他人の土地に武器を持って侵入すれば、殺されて当然だ。下手に信用すればこっちが殺される」

 拠点では、機械の整備とセスナに積んだサーモカメラによる偵察飛行をヒッグが担い、バングレーはもと海兵隊員の技術と経験を活かし、武器弾薬の整備補充と監視塔からの狙撃によって安全を確保していた。夕方、偵察飛行にヒッグが出かけた時、セスナの無線に女性の声でかすかに通信が入って来た。「こちらは・・・グランド・・・ジャンクション・・・」半年前に受信した通信内容と同じで、それは中年女性の声と思われた。ヒッグはエンジンを切って、機を滑空させるとその通信に応答した。「こちらはセスナ2-MMWD、聴こえますか? グランド・ジャンクション、応答してください」 ヒッグが呼びかけても、あとは空電音しか聴こえない。距離が遠すぎて、電波状態が悪いのだった。拠点に帰ると、ヒッグは先ほどの女性の声の通信を録音したものをバングレーに聴かせた。「どうせ、録音されたものをリピートしているのさ」とバングレーの反応は冷たい。「まともな人間がまだ生き残っているという幻想を棄てろ。もう西には誰もいない」 ヒッグは反論する。「不自然に間が空くのはなぜだ。自動リピートなら声の感覚は一定のはずだ」「どうやっているのか、技術的なことはわからんが、他に生き残っているまともな人間などいない。お前は西にはまだ以前のような世界があると信じたいだけさ」 二人の会話は平行線で終わった。

 その夜、ヒッグはいつものようにジャスパーと一緒に星空の下で眠ることにした。星空を見上げ、彼はジャスパーに自分が名づけた星座を説明しながら、いつの間にか眠ってしまった。ところが、ヒッグは周囲に人の気配を感じて目を覚まし、身を起こした。何かがおかしい。彼はアサルトライフルを引き寄せ、トランシーバーでバングレーに小声で呼びかけた。「バングレー、聴こえるか? 何かおかしい。バングレー・・・」 応答がない。その時、身体中を葉で偽装した二人の侵入者が近くで立ち上がると、怒声をあげながらヒッグに襲いかかった。からくもひとりを射殺したが、もうひとりが彼に接近。その時、ジャスパーが唸り声を発し、襲撃者に飛びついた。三人目が襲って来た瞬間、敵は飛来した銃弾が命中して斃れた。バングレーが応援に駆けつけたのだ。ヒッグはジャスパーが飛びついた敵を斃すが、ジャスパーは鋭い刃物を突き立てられ、すでに虫の息だった。「ジャスパー!!」彼がジャスパーを抱き起した時、物陰からバングレーが姿を現し、「どうだ、少しは懲りたか? お前がグランド・ジャンクションからの通信に気をとられ、偵察を怠ったから、ゴキブリどもの接近を見逃したんだ」とヒッグに声をかけた。ヒッグはバングレーが自分の警告にすぐ応じなかったのは故意だったと悟り、彼を殴り倒した。

 翌朝、ヒッグはジャスパーを埋葬すると、拠点から出ていく準備をはじめた。「ここを出ていくのか? 俺に何の相談もなく。今まで通り、ふたりでここを守っていくのが最善じゃないか?」とバングレー。「もう、ここに留まる意味がなくなった。自分はあの通信を信じ、グランド・ジャンクションを目指す。そこには、きっと人々が生き残っているはずだ」ヒッグの決意は堅かった。「そうか、わかった。じゃあ、これを保険に持っていけ」と手榴弾がたくさん入ったバッグを手渡し、「ジャスパーのことは残念だった」と謝罪し、セスナのドアを閉めた。ヒッグはひとり、セスナで飛び立つと、グランド・ジャンクションを目指し、長い飛行をはじめるのだったが・・・・。




 この先、少しだけ内容に触れます。未見の方、一切の先入観を排して本編を鑑賞されたい方はご注意ください。












 さすが、リドリー・スコット。終末世界がこれほど静謐で美しく描かれるとは、思いもしなかった。本作が賛否両論なのもわかるような気がする。従来のポストアポカリプス映画とは、決定的に違う。本作が描くのは、迫りくる脅威に対して雄々しく立ち向かう「戦う主人公の姿」ではない。スコットが描いたのは、妻を喪って以来、長年、自分を支えてくれた愛犬まで喪って孤独のどん底に沈む主人公の魂の物語である。ジャスパーが自分を守るため襲撃者と戦って死んだ今、ヒッグには、もはやこの世界で生きている意味がなくなってしまった。一度は「グランド・ジャンクションに人々が生き残っているに違いない」という希望を胸に飛び立ちはしたが、同時に、「妻と過ごした思い出の山の切り立った崖にセスナで突っ込んで死んでしまいたい」という思いも消せないでいた。本作が静かで美しい大自然を背景に繊細な空気感をまとっているのは、主人公ヒッグがこの世に未練がないばかりか、できれば妻と愛犬ジャスパーの待っている場所に早く行ってしまいたい、という心の葛藤があるからだろう。そこには、敵と戦い、敵を打ち負かして生き抜こうとする強固な意志は存在しない。ヒッグの姿が無警戒で、時に無気力に見えるのは仕方ないことだ。原作小説『The Dog Stars』を「いつか僕が帰る場所」とした邦題がこの物語の本質を見事に表現している。映画の邦題を『ラスト・サバイバー』としたことで、多くの観客に「終末世界を生き延びようと激闘する主人公の物語」という誤った印象を与えたのはなんとも罪深いと思う。少なくとも、主人公ヘッグが、妻と愛犬の待つ星座(彼岸)への帰還を望んでいる心情から焦点をずらしているのは間違いない。



 この先、ネタバレです。未見の方はご注意ください。



1.対照的なヒッグとバングレー
 エリーの拠点でサバイバルするヒッグとバングレーは対照的な存在だ。終末の苛酷な世界を生き抜こうとする姿勢が全く違う。バングレーは、今の世で最も危険な存在は他の生存者達だと確信している。自分が生き残るため、殺されないために彼は情け容赦なく、侵入者を射殺し、一切の例外を認めない。対するヒッグは、他の生存者を殺害することに抵抗がある。殺さずに済むなら、黙って見逃したいし、自分の助けを必要とする善良な人々には支援を惜しまない。

2.「グランド・ジャンクション」からの通信の解釈
 偵察飛行中に受信したグランド・ジャンクションからの女性の通信の解釈も、ヒッグとバングレーは真逆だ。バングレーが一切興味を示さないのは「まともな生存者、善良な人々など生き残っていない」という冷徹な認識によるものだ。文明社会が崩壊した後、エリーに訪れた生存者は彼が「ゴキブリども」と呼ぶ、全て血に飢えた襲撃者達だったからだ。グランド・ジャンクションに人々が生き残っていたとしても、彼らがかつてのアメリカのような自由で安全な生活を過ごしている保障などない。「西には何もない。お前は幻想を追っているだけだ」とバングレーは言う。ヒッグは、女性の声の通信を信じたかった。中年女性の穏やかな声は「救いを求めているのではないか?」 そして、そこには以前のような世界が維持され、善良な人々が暮らしているかも知れない。

3.ポップスとシーマ父娘との出遭い
 グランド・ジャンクションへの飛行の途中、エンジントラブルで山中の平地に緊急着陸したヒッグはポップス(ガイ・ピアース)とシーマ(マーガレット・クアリー)父娘と出遭う。もと軍人のポップスがバングレー同様、見知らぬ者を一切信じないのは当然だろう。彼もまた、「この世で最も危険な存在」が他の生存者達だとはっきり悟っている。信じれば、自分達が殺されるに違いない。娘シーマがヒッグを善良な人間だとすぐに察したのと対照的だ。ヒッグが妻を喪って哀しみに沈んでいたように、シーマもまた夫を失っていた。お互い惹かれ合いながらも、手も触れず、プラトニックな関係に留まっているのはそれだけ彼らの哀しみが深いということが察せられる。深い精神性に焦点をあてる本作の大きな特徴だろう。

4.グランド・ジャンクションの現実
 人々を信じたいと願って来たヒッグが大きな転換点を迎えるのが、グランド・ジャンクションだ。彼はそこで、「信じて良いのは善良な人々だけだ」という重要な教訓を得る。通信の主、ダーリーン(アリソン・ジャニー)は「安達ケ原の鬼婆」だった。女性の声の通信によって生存者をおびき寄せ、有能な技術者は奴隷として残し、利用価値のない者達は屠殺して食料とする。もと研修医のシーマを部下と結婚させ、ポップスとヒッグは捕らえて殺す気だったのは間違いない。からくも危機を脱したヒッグがグランド・ジャンクションを焼き尽くし、管制塔に手榴弾を投下してダーリーンを爆殺したのは、バングレーのやり方が正しかったことを身をもって学んだからだ。「脅威は完全に排除」しなければならない。

5.善良な者同士が結束し、新しい世界を創る
 狂暴で無秩序な生存者の大集団に襲撃され、エリーの拠点は壊滅。救助したバングレー、ポップス、シーマを連れてヒッグが向かったのはメイノー教徒達のコミュニティーだった。善良な者同士が結束し、力をあわせて「新しい世界」を創ることこそ、生き残った者の務めだろう。幸い、パンデミック以降に生まれた子ども達を中心に免疫ができていることが確認され、もと研修医のシーマと医療品のおかげで他の病気にも対処が可能になった。生きる意欲を失いかけていたヒッグはシーマと共に前に進むことを決意。未来に明るい兆しを感じさせて終わる物語にはほっとさせられた。

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