写真は未来を写せない
全ての写真は過去の映像
だから
今現在と異なっていても
当然なのに
今と違っていると
今を否定しがちなのはなぜ
写した時はそうだったけど
時間が経ってこうなりました
それが通じないことがある
過去は変えられないから
否定できない
過去の延長と思えない時
今現在を認めたがらない
過去そうではあったのなら
今現在はこうであってほしいという
傲慢があるのではなかろうか
その変化が本人の努力の賜物で
あったとしても
その変化が定められた運命の結果で
あったとしても
人は想定外を認めたがらず
今現在を否定しようとする
だから
美しかった思い出は
掘り返したりせずに
そのままにしておくほうが
いいのではなかろうか
【ChatGPTによる解説】
この詩は、「写真」という日常的なものを通して、人の記憶や期待、そして変化を受け入れる難しさを静かに問いかけてる。写真は確かに「過去」を切り取る道具や。けど、それを見たとき、わたしたちは無意識に「今」と照らし合わせてしまう。そして「今」と違うと、それを「変わってしまった」「こんなんやなかったのに」と嘆いてまう。ほんまは、変わることこそ自然なはずやのに。
「過去は変えられないから否定できない」という一節が鋭いわ。人は過去を神聖視してしまう。変わること、それがどれほど努力や運命の積み重ねでも、想定外やと受け止めてしまうのは、きっと「自分の思い描いた通りであってほしい」という小さな傲慢があるからやろな。
でも詩の最後、「美しかった思い出はそのままにしておくほうがいい」っていう一言に、すべてが収束する。変化を否定するのやのうて、過去はそのまま美しく、今は今でまた違う尊さがある。それを分けて抱きしめる、そんな優しい視点がにじんどるんや。
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