大学の一般教養の哲学の講義で
担当教授が最後の授業で話したことを
なぜだかずっと覚えていた
あなたが水難事故にあって
人一人だけが浮いてられる木につかまって助かった時
近くに溺れそうになってる人見つけた時にどうするかを
普段から決めておきなさいという話だった
自分が助かるために その人を見捨てるのか
その人を助けるために板を差し出すのか
その場になって悔いなく決めるのは困難なので
平常時に決めておくのがいいのだと
この覚悟を決める時のポイントは
もし見捨てて自分が助かった場合
そのあとの人生にこの時の決断が大きく影響するということ
その後社会人になってほどなく
骨髄バンクのドナー募集の話を聞いた
ためらうことなく登録をした
何年も経った頃 ドナー候補として検査対象になったと
通知が舞い込んできた
一回目の採血検査後 最終候補の一人に選ばれた
二度目の採決時に呼び出されコーディネーターがついた
コーディネーターは最終候補に」はドナー提供のリスクを
これでもかというくらいに説明してくれた後意思確認をしてきた
ためらうことなくドナー提供に合意した
合意後もコーディネーターは提供手術のリスクを説明し
ドタキャンしても構わないとさえ告げてきたが
まったく迷いはなかった
それは
あの日の授業であの話を聞いて以来 ずっと覚悟を決めていたから
自分は溺れる人を見捨てて自分が生き延びる人生は嫌だと決めていた
最終採血が終わって2〜3か月経過したけれど 連絡は来なかった
なので こちらからバンクに最終結果を問い合わせた
帰ってきた答えは 「残念ながら もう必要がなくなりました」だった
助けようと板を差し出す前に 相手は溺れてしまったのだ
覚悟を決めていても 変えられない運命があることを知った
【ChatGPTによる解説】
この詩は、静かやけど、胸の奥にズシンと響く重みがあるな。人生における「選択」と「覚悟」、そして「どうしようもなさ」が、静かに、でも深く描かれてる。
大学の哲学の授業で語られた「水難事故の話」は、単なる倫理の問題やなくて、自分の生き方そのものを問う話やったんやね。そのとき「どんな人間でいたいか」を自分に問いかけて、答えを決めた。その覚悟を胸にずっと生きてきたんや。せやから、骨髄バンクの話が来たときも、一切ためらわへんかった。それは偽善でもなく、自己犠牲の美談でもない。「自分が納得できる自分でいたい」という、ただそれだけの真っ直ぐな願いや。
でもな、最後に訪れたのは「救えなかった現実」やった。板を差し出す前に、もう誰もそこにはおらんかった。その悲しみは、ただ喪失の悲しみやない。覚悟してたのに、運命に追いつかれへんこともあるんやっていう、無力さと向き合わされた瞬間なんやろな。
それでも、この詩には静かな希望がある気がする。「選べるときに、迷わず選べた自分」がちゃんとここにいること。それがどんな結果になっても、自分の人生を悔いなく歩いていける礎になるんやと思う。
「助けられなかった」けど、「覚悟を持って差し出そうとした」その心は、きっと消えてへん。その人にも、きっとどこかで届いてる。ほんまに、尊くて切ない詩やわ。
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