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2024年04月30日14:07

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【バレエ】新国立劇場バレエ「ラ・バヤデール」(27日)

わんこは好きだけど、飼い主がなあ・・・。保健所によれば、大きい方の落とし物放置は論外として、小さい方も「十分な水」で流さないと(やってますアピールのチョイ流しはNG)、「犯罪行為」(←これ、強調!)になるそうだ。

自転車で横断歩道を渡る時は押して歩かないと歩行者扱いにはならず、当然「優先権も無い」という交通法規とセットで周知してほしいものだ。


我が師によると、東京バレエ団の「白鳥」(28日)が、いろいろな意味で素晴らしかったそうだ。まず主役の沖さんのレベルがさらにアップ。踊りの技術だけでなく表現力が増し、役の解釈も深化していたという。

配役表を見てごらん、というので眺めてみれば、これ、ちょっと反則じゃないですか。(笑) まさに精鋭部隊。マールイ公演を思い出してしまった。
https://www.nbs.or.jp/publish/news/2024/04/428-1.html

東バの成長を嬉しく思う反面、ロシアの正統派スタイルでチャイコフスキーを観ることができるのはもうここしかないと思うと、悲しみと(プーチンに対する)憎しみも覚えたという。


Kバレエ今年の新作「マーメイド」、小林さんの主役出番が増えている、これは観に行かねばと思ったら、多く見えたのは先に上演される地方公演のみで、東京公演はいつも通り他の人の半分以下。なあんだ。しかも浅川さんの名前が主要配役表に見当たらないのが気になる。長尾さんの名前が出てきたのは当然か。


清里フィールド・バレエのチケット発売が始まった。今年は「白鳥」。過去には湖畔の場面で霧が出たり、ロットバルトの登場にあわせて雷鳴が轟いたこともあった。今年は何が起こるだろう。(笑)


日本で「バヤ」の全幕上演がまだ珍しかった頃はニキヤとソロルの悲恋話としか思われていなかったが、実際はガムザと大僧正、さらにはラジャも加えためんどくさい人間模様を描いたお話である(笑)。5人それぞれに様々な人物像作りが可能だから、それらを組み合わせれば、わざわざ改訂版を造らなくとも配されたダンサーたちの解釈/演技だけで新しい物語を描くことができる。

たとえば3人目の主役ともいえるガムザはお金持ちの高慢な娘として描かれることが多く、1幕の最期は彼女の「殺す!」というマイムで終わるのが定番だが、苦労を知らずに育ったため天真爛漫ではあるけれど根は良い人とする解釈も時々見かけ、ボリショイのアラシュさんは殺すマイムの代わりに、もうどうしたらいいのかわからない、とばかりに両手で顔を覆ったこともある。

そもそもガムザが宝飾を差し出すのは、ソロルを諦めて欲しいという袖の下ではなく、このままではあなたはお父様に殺されてしまうから、これを路銀に国外へ逃げなさい、という彼女なりの親切心だった。にもかかわらずニキヤは刃物を振り上げてしまうから、ガムザが怒っても仕方がない。

2幕ではセンターに立つニキヤの花籠の踊りが注目されがちだが、実は上手でソロルとガムザがどのような演技をしているかによって物語の印象ががらりと変わる。

これみよがしにいちゃついてニキヤに嫌がらせをするガムザもいれば、父親は彼女の指示に従っただけで、毒蛇の企みはガムザ本人が考えたのではと思えてしまう真っ黒なガムザもいた。かと思えば蛇の出現にいちばん驚き、おまえの仕業ね!? とニキヤになじられれば、ちがう、私じゃない! と泣きじゃくりながらソロルに訴えるガムザもいた。ソロルはソロルで仕方がないんだと開き直る者もいれば、いたたまれず逃げ出そうとする者もいた。

それを受けてのニキヤの演技もいろいろで、怒りの矛先はガムザの場合もあればソロルの場合もあり、怒りではなく絶望や悲しみを表現した人もいた。いま思い出してもうるうるしてしまうのは、あなたの立場は理解しているし、私を愛している気持ちにかわりがないのもわかっているからと、おそらくは微笑みながら力なく毒消しを手放したシェスタコワさんの演技。

大僧正も中高年のひひおやじもいれば、暴走する若者聖職者もいて、対するニキヤも聖職者として恥を知れ! とばかりに毅然と睨み返す場合もあれば、セクハラ上司にひたすら嫌悪の目を向ける者、私はただの巫女、あなたのような立場の方がなぜそのようなことを、と涙目で問いかける人もいた。

変えようがなさそうな刃傷沙汰シーンにも、実際は様々なパターンがある。ガムザを思いきり殺しにかかる巫女にあるまじき激情型ニキヤもいれば、宮殿はみーんな私のもの、とガムザに言われると素直に凄いですねえと感心し、ソロルの肖像画を見せられれば愛しのソロルさま、と手を合わせる天然巫女、その場から去りたくてもガムザに行く手を阻まれるので、脅すためにナイフを手にした冷静なニキヤもいた。彼女を追い詰める浅川ガムザと、窮鼠猫、泣きそうな顔でナイフを振り上げた佐々部ニキヤのチームワークはある意味名演だと思う。(笑)

千変万化の4人に比べると、ラジャは大柄な人が配されて威圧するというパターンが基本で、圧のかけ方や怒り具合、ガムザへの接し方という地味なところで個性を出していたが、その中にあって印象的だったのが新国のマイレンさん。彼は大柄なダンサーではないから、屈強な兵士たちを前にどうやって威圧感を表現するのだろうと思っていたら、一見あたりはやさしいが、実は腹の中が真っ黒な権謀術数型ラジャだった。(笑)


前書きはこのくらいにして、新国の「バヤ」は牧版。2000年の初演以来、もしかしたら若干の手入れはされているのかもしれないが、芸監が変わっても継承されている。40分、35分、40分の3幕構成、各幕間に25分の休憩が入る。ベースはマリインスキーのポノマリョフ/チャブキアーニ/セルゲイエフ版だが、2幕の太鼓の踊りなどディベルティスマンの一部を省いたり、3幕の寺院崩壊場面をシンプルながらも復活させている。

指揮はバレエ・ファンにはもはや説明する必要もないバクランさん。昨今はウクライナ繋がりで名前を知った人もいることだろう。オケは東フィルの何軍だろう。あからさまなミスタッチをする人は少なかったが、ここにしては音圧が妙に軽く、後半に向けて調子を上げてはいたものの、1幕はなげやり感が隠せていなかった。またコンマスさんは頑張っていたけれど、彼も含めて音色に雑味を感じるケースがままあった。

加えて主役の2人を除くとダンサーたちも速いテンポは望まなかった(対応できなかった?)ようで、そうなるとランチベリーさんの装飾音の多い編曲が生きない。

音楽つながりで付け加えると、この回の観客はフライング拍手をする人がほぼいなかった。よしよし。(笑)

新国の「バヤ」上演は7回目、前回は2019年だから5年振り。8年振りよりはマシだが、技術の継承という点では微妙なラインで、初日はファースト・キャストであるにもかかわらず、主要配役15名のうち半数近い7名が初役。群舞ともなればさらに多そうだ。初日なので慎重に踊り、楽日に向けて徐々にペースを上げていくというのでなければ、ランチベリー編曲は諦めた方がいいかもしれない。

印象に残った踊り手や場面を記すと、やはり小野さん(ニキヤ)と福岡くん(ソロル)は別格だった。2人とも回転や跳躍が頭抜けて凄いというダンサーではないけれど、手足の使い方の美しさ、動きの安定感は心と目の清涼剤。そしてなんと言っても最大の長所は、踊りのみならず演技面でも見事にシンクロしたパートナーシップの完成度だろう。

小野さんのニキヤは意外にも激情型だった。元々演技力の長けている人だが、怒りに我を忘れてガムザに迫るようなキャラ作りをするとは思っていなかったから、その憤怒の表情ともども驚いた(笑)。でも激情型の性格なら、ついナイフを鷲掴みにしてしまっても不自然ではないし、我に返り自分はなんてことをしてしまったのだろうと後悔する様子も生きてくる。毒蛇に咬まれたあと、思いきりガムザをなじる行為とも整合性が取れる。

小野ニキヤはソロルが大好きだが、福岡ソロルはそれ以上にニキヤが好き。わんこのように何度もニキヤを抱きしめる。(笑) だからガムザを紹介された時と毒蛇の場面で、感情を抑えつつも浮かべる薄笑いが、最初は心の中でリンクしなかった。てっきりあからさまな困惑や拒否の感情を示すと思っていたからだ。

でもあの2人が何も考えていないわけはなく、役作りについて緻密に意見を交換した結果の舞台だろうからと理由を考えてみた。思うに、後味が悪いというか、救いのない牧版のエンディングまでを考慮した役作りなのではないだろうか。

復活された寺院崩壊シーンでは、瓦礫の中、ソロルはかろうじて命の糸をつないでおり、ベールをなびかせながらスロープを登っていくニキヤの幻影を認めると、必死に立ち上がりあとを追おうとする。

古典の王道からすると、ソロルは追いついてベールを手にし、魂が結ばれた2人は黄泉の国へと旅立っていくエンディングを観客は予想するが、愛する人を裏切った男にかける情けは無いとばかりに、牧さんはソロルを切り捨てる。ある意味衝撃的なこのエンディング、初演時には話題になったことを思い出した。(笑)

1幕の様子からすると、福岡ソロルの小野ニキヤを想う気持ちに嘘はないのだろう。しかし当時の権力者の意思は絶対だし、幼少の頃の話とはいえソロルはガムザと婚約もしているから(本来はそういう設定)、にもかかわらずニキヤを選ぶということは、地位も財産も国も捨てるどころか、下手すると殺されてしまうかもしれない。運よくニキヤとともに国外追放になったらなったで、身一つでニキヤを幸せにすることはできるのだろうか。

ここはラジャの顔を立ててガムザと結婚すれば、妾としてニキヤを支援することもできる、そんな打算というよりは諦めと次善の策がソロルの脳裏に描かれていたとしても不思議ではない。そう解釈すると、笑顔は浮かべているがガムザと対するソロルの仕草はどこかよそよそしく思えてくる。

ラジャから提案(というか命令)されて以後、ソロルとニキヤは2人だけで話し合う時間も無かったはずだから、毒蛇の場面では、ソロル的には俺を信じて察してくれよという思いが、あの苦渋に満ちた表情と落ちた両肩だったのだろう。大僧正に借りはできるが、毒消しもあるから死ぬことはないだろう・・・。だが予想に反して死を選んでしまったニキヤに、我を忘れてすがりつく解釈にも破綻はない。

もしニキヤが冷静沈着な性格だったら、ガムザに刃物を振り上げたりはしなかっただろうし、ガムザの好意に甘えて逃亡、国外でソロルを待つ選択肢もあった。ソロルの意図を察して毒消しを飲んだ可能性も高いが、そうなると牧さんの考えたエンディングには至らない。後先考えず感情まかせで行動すれば毒殺されるのは必定、しかもニキヤは死してなおソロルを許すことはないだろう。激情型ニキヤは牧版の必須キャラともいえる。はたして米沢さんや柴山さん、廣川さんは、そして小野さんは2回目のニキヤをどのように演じるのだろう。

初台に足を運ぶ前日、光藍社からお知らせメールが届いた。内容は夏ガラに出演する新国ダンサー、直塚さんへのインタビュー記事と、彼女の踊る様子を収めた動画の案内。これまでは特に注目はしていない踊り手だったが、それを読んで観たあとは、明日の舞台、目立つ役にいたらいいなと思ったが、まさかガムザで観られるとは。(笑)

ダンサーの出自的特徴をざっくり記すと、パリオペ系は下半身の動きが正確で美しいが、上半身はおざなり。ロイヤル系は細かい動きやキャラの特徴の再現は上手いが、全体的に踊りが小さい。ロシア系は身体全体を大きくのびやかに使うが、細かいところが大雑把。(笑)

もちろん、どこの出自であろうともA級、超A級のダンサーたちはすべての動きが正確で美しく、自分が踊る役の特徴もしっかり把握し、そして大きくのびやかで優雅。これが我々の観たい踊りであって、出自などどうでもいい。

モスクワ音楽劇場で学んできた直塚さんの踊りは、典型的な発展途上のロシアン・ダンサー・スタイル。全身を大きく使う今の踊りを維持しつつ、細かい動きも正確にこなせるようになれば、表情も豊かそうだからプリンシパルも夢ではない。

気になった点は2つあって、ひとつはビジュアル。昨今のバレエ・ダンサーにしては身体に比して頭が大きい。またロシア式のダイナミックな踊りには動きを確実に制御するため発達した筋肉が必要不可欠で、ロシアやウクライナのダンサーは手足が長いから筋肉が付いてもあまり目立たないが、日本人はそうもいかない。

我々は踊りが上手ければビジュアルは二の次だが、細身のダンサーが好きそうな新国のファンに、はたして彼女は受け入れてもらえるだろうか、と配信動画を観て心配になったが、それは杞憂だった。カーテンコールでは小野さん、福岡くんに次いで大きな拍手をもらっていた。良かった良かった。

となると、もうひとつの方が気になる。比較対象が小野さんと福岡くんなのがちょっと可哀そうだが、それを差し引いても、長塚ガムザと福岡ソロルのPDDは、息が合っているとは言えなかった。欧州で学び新国で鍛えられた福岡くんと、ロシアで育った長塚さんの、踊りのスタイル(メソッドではない)のすりあわせがまだ十分取れていないのだろう。

PDDを踊り慣れているはずの福岡くんですら手こずっているのだから、他の人ではさらに難しいだろうし、と言って経験を積まないことには慣れようがない。でも変な矯正はしないでほしい。Kの小林さんは、無意味な矯正をされて踊りがおかしくなったことがあった。どうか長塚さんの長所を生かす方向で調整していってほしいものだ。

4人目の主役・大僧正は、牧バで見かけて気になり、大和シティ・バレエの宝満版「美女と野獣」を観てすっかりファンになった中家くん。大猿の時よりも若く見えたので、この日の舞台は若気の至りパターン。今回は顔芸でも楽しませてくれた。

ラジャに直訴する際はニキヤのベールを懐から引っ張り出すが、冒頭のアレを肌身離さず持っていたんだと思うと、観客がわかりやすいようにという演出ではあるけれど、ちょっとキモいよなあ。(笑) 彼的にはソロル追放が目的だったのに、ニキヤが処分されるという決定を聞いてショックを受ける場面には、シリアスな話なのに毎回つい笑ってしまう。聖職者の王道まっしぐらだった若手エリートが恋に我を忘れて堕ちていく、というような演技をする人もいるけれど、彼のような芸達者が演じるコミカルな大僧正が個人的には好きだ。

5人目のキーマン・ラジャはファースト・アーティストの趙くん。スタンダードな演技ではあったけれど、威圧的な権力者の雰囲気は伝わった。今回は同じパターンでいくのだろうが、次のステップとして怖さを増したり、でも実は子煩悩な親だったり、はたまたマイレンさんのような曲者にするのか。成長を楽しみにしたい。

私の観た日の苦行僧やジャンペたちは総じて勢いが足りず、踊りのテンポも比較的ゆっくりだったので、前述のようにランチベリー編曲の良さを引き出せていなかった。初日だから慎重だったのか、それとも現状ではこれが精一杯なのか。週末のお師匠さまの感想が待ち遠しい。

この日の黄金像は奥村くん。上手い人ではあるけれど、溌剌とした踊りが得意というわけでもないから、なぜこの役に配されたのだろう。福田くんの方が適任だろうし、多少荒くても生きの良い若手はいたのではないだろうか。

にもかかわらず観客の拍手が凄いのも不思議。この日の観客は岩田さんや熊さんの映像を観たことはないのだろうか。あれを観てしまうと、生半可な踊りではぬる過ぎて物足りない。

★岩田さんの黄金像
https://www.youtube.com/watch?v=qPhOElrgJmA

★熊さんの黄金像
https://www.nicovideo.jp/watch/sm6359797

影の王国ヴァリ3人衆、ファースト・ソリスト/ソリストの階級は伊達ではなかった。マリインスキーではテリョーシキナさん、ロイヤルではデュランテさんが混ざっていた反則公演(笑)もあったから絶賛はできないけれど、舞台をしっかり引き締めてくれた。

そして群舞は圧巻の32名。これだけ人数を揃えると、ぷるぷるダンサーがいるのは仕方がない。フォーメーションは頑張っていたし足音も控えめだったので、幻想的なシーンを堪能させてもらった。

牧さんはマリインスキーを目指していたようだが、精鋭をかき集めゲルギーが振る舞台でなければ、いまなら新国の方が上手いかもしれない、と言ったら言い過ぎだろうか。
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