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2024年03月28日17:40

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神戸と伊予原新と晴耕雨読さんとラズリに向きあう

 一昨日の26日、朝起きた時点から冷たい雨と風、今冬の天候ワースト3に入る一日が始まった。午前10時、神戸から妻の友人夫妻が「桜見観光ツアー」で来鎌することとなり、3時間のフリー行動に付き合う予定が組まれていた。小田原城、千鳥ヶ淵、浅草、目黒川沿いと、ツアーには桜の名所が取り入れられている。その最後が鎌倉なのだが、早咲きの玉縄桜や河津桜は既に散り、市内のそこかしこにあるソメイヨシノは開花さえしていない。そしてこの悪天候。なんともお気の毒で、何をしてあげられるのかを考えても名案はない。
 八幡様の駐車場へお迎えに行き、あまりに寒いので早々に参拝を済ませたあと、境内のちょっとオシャレなカフェにご案内。その後場所を移動して古民家蕎麦屋へお連れしてジ・エンド。
 私はこの夫妻と30年ぶりにお会いする。ご主人は神戸大医学部出身の愉快な医者で、口の悪さと頭の良さの揃うかっこいい男だが、医者を引退して70歳を越えてもその魅力はまったく衰えていなかった。まったく物にこだわりがない、金とか地位に少しもこだわりがない。不平等と反知性主義がきわまった資本主義の末路を、別に自分とは関係ないとばかりに見放し、かといって見下してはいない淡々とした態度に私は好意以上の好意を抱いた。礼儀として互いに政治的な話題は避けたが、直截話法で政治批判をする巷間の人よりこういうひとのほうがむしろ正鵠を射た文明批判を心の中で持っている。
 東京から見たら大阪も神戸も関西人というひと括りだが、言葉ひとつとってもかなりの相違がある。テレビで語られる関西弁をたまに耳にすることがあるが、誇張と諧謔混じりの地域限定的な大阪弁は、神戸の人間から見てもかなりの違和感がある。小さい頃、吉本新喜劇を見ていると、けったいな話し方やなあ、と思っていたもんだ。純粋な東京人が栃木弁や茨城弁を聞いて、関東弁という大きな括りでは地続きだ、とは納得しないのと同じようなものか。
 鎌倉は歩いて楽しい二流観光地で、見どころもなければ食べ処もない。そのうち波が退くように私が初めて訪ねた50年前のしょぼい田舎町へと戻っていくだろう。午後1時過ぎ、八幡様そばの駐車場で夫妻と別れた。お土産に「フロインド リーブ」の焼き菓子、うちが渡したのは「こ寿々」のわらび餠。イーブンというとこか。

 3月27日水曜日。一転快晴!
 なんだなんだ、いきなり初夏の陽気で、午前10時過ぎ、クルマに乗り込んだら、暖房要らずどころか窓を少し開けてちょうどいいくらいの暖かさだった。
 ラズリのお腹の調子は相変わらず悪い。湘南モールの「マックス」はドッグフードの品揃えが半端なくいいので、少しずついくつかのドッグフードと犬用のおやつを買う目的でクルマを走らせた。絶食させるという荒療治などもあるが、老犬なので無理をさせたくない。ボーダーコリーの平均的な寿命を過ぎたが、俺より先に死ぬなというくらいの気持ちで毎日、世話をし、逆に世話になってもいる。結局のところ、ラズリに励まされているのだ。一晩に数回、ラズリを抱きしめて一方的に話しかける。言葉など理解できなくていい。その瞬間その瞬間の感情を伝えたい。
 夜の午前零時ちょうどに伊予原新の『青ノ果テ』を読了。3日をかけて読んだ、という計算になる。宮沢賢治のオマージュ小説にして、青春ミステリードラマ。伊予原の作品は完成度もオリジナリティも理化学的な昂奮も高く、読者を裏切らない。それにしてもここまで宮沢賢治を俎上にして、実証主義的な検証を試みた文学者を私は知らない。もともと伊予原は理系文芸を得意としているのだが、文学の読み込み方が半端ない。読者はついていくだけでたいへんで、私は挫折こそしないけど終始頭を悩ませながら呻吟した。伊予原の小説に登場する人物は老いも若きも心が澄んでいる。人間性善説を裏切らない、という一点だけで、私にあっては彼の小説すべてが救いとなり、時には教師にさえなる。そう言えば伊予原も神戸大出身だった気がする。狼藉三昧の神戸大バッドボーイズ、猛省すべし。おまえたちの大学は、明朗な秀才だぞ。
 私は陰口を叩かない。この延長線で、権力以外に対して悪口を言わないようにしている。前者については、編集者に就いてみて陰口三昧の同僚が反面教師となり、自分の価値——大してないけど——が下がらない手だてとして、せめてこれくらい簡単な心得を持っておこうと思った。後者についても同様で、そもそも性格がそんなに良くないのでこれ以上品性を落とさないでいたい一心から悪口を慎もうと。大した才能が備わっていないという負の要素を補うためには、日頃からこうした戒めを心の中で掲げておきたいのだ。

 3月28日木曜日。
 午前中、ブックマークを整理しようとして、2つの発見。
 かれこれ8年前、私が編集した本を書評してくれた秩父住まいの晴耕雨読人さんが、いつのまにかブログを書かなくなっていた。ブラウザのブックマークに登録したまま放置していたのだが、削除しよう。と思って、彼のブログをチェックしたら、私がたどり着けなかっただけで、かなり前から再開されていた。もう70歳をかなり越えていらっしゃるのに、時々は市の公園や森林の整理をされていたり、ほぼ毎日のように農作業をしている。彼も表立って政治的な話や社会批判をしないのだが、野山の管理業務や農作業の備忘録に混じって原発問題(1月1日以降の志賀原発)を数回にわたって追っていらっしゃった。なんともバランスがいいブログだ。
 この他にもうお一人、ブログをリニューアルされて別の場所で日記をつけているのを知らないままになっていたかたもいて、なんだか得した気分。
 晴耕雨読さんに刺激され、私も苗作りをしてみよう。という気となり、一昨年にダイソーで買ったプチトマトとコリアンダーの種を引っ張り出してポットに埋めてみた。そうだそうだ、今年はトウガラシ以外の野菜を種から育てたいと思っていた。いまならまだ間に合う。
 土で手がドロドロになった。
 雨が降り出さないうち、散歩へ出掛ける。銀行へ行って駐車場代を振り込み、ぐるっと大回りして横須賀野菜の無人販売へ行くと、おばさんがサニーレタスを袋詰めしていた。
「雨が降ったらレタスが土まみれになっちゃって」などと言いながら土を指で払っている。でも袋に入ったレタスをよく見てみたら、無数の土が付いていた。
 完全露地物の証拠だ。
 ビニールハウス栽培は嫌いだ。あんなもの、石油を食っているようなものだから。
 虫食いが一つもないような大葉とか、大根(葉)というのは本来あり得ない。が、土付きは消費者から敬遠され、真冬にいちごやトマトが有り難がられ、都市生活者は天に背いたような生活を好む。お金を出せばなんでも買える、という暮らしは自分も含めて罪ではないのだけれど、どことなく釈然としない。
 せめてこんな自覚を手のひらで大事に温めつつ、生きていきたいもんだ。
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