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2024年03月19日01:41

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今回は冷静に、制作当時のイタリアという国を考え直しました。ピエトロ・ジェルミ監督「わらの男」(1958)再見。

前回見たのは2017年10月22日で、その翌日付のミクシィ日記に書きました。僕が5歳のころ父親が不倫をしていたという事実を、数年前に姉から聞かされたという顛末から、今回の目黒ゆたか会のテーマ“先生の不倫”が決定したのです。今回もその線で書こうかと思いましたが、もう少し冷静に制作された時代を考えたいと思い直しました。

イタリアでは、この「わらの男」が1958年公開されており、1956年にヴィットリオ・デ・シーカ監督の「屋根」があり、1962年にミケランジェロ・アントニオーニ監督の「太陽はひとりぼっち」があります。そして1960年にはローマ・オリンピックが開催されていたわけです。そして1964年、東京でもオリンピックが開催されました。

「屋根」は住宅不足が続くローマで、貧乏な若者夫婦のために貧しい人々が公有地にバラック小屋を作る話でした。つまり“屋根”が出来上がったら居住権が発生して取り壊せないから、一晩のうちに建ててしまおうという発想です。それが1962年の「太陽はひとりぼっち」になると、オリンピックの選手村だったところがアパートに変貌しています。

2020年の東京オリンピックでも、選手村を一般に払い下げしました。しかしコロナ禍でオリンピックが1年遅れ、居住する予定だった人々は入居を1年遅れさせられました。その間余計な支払いとなった家賃などを、オリンピック委員会はきちんと補償してくれたのでしょうか。←僕は詳しく調べていません。

その2作の真ん中で、ローマの団地を舞台にした不倫ドラマが「わらの男」でした。父親アンドレア(ピエトロ・ジェルミ)は、工場で機械工として働いていますが、同じ団地の別棟に住むリータ(フランカ・ベットーヤ)と出逢います。折しも、妻は幼い息子の療養のため海辺に出かけており、そこに若い女が登場する、という展開なのです。

昔から言われていることですが、“衣食足りて礼節を知る”という言葉があります。第二次世界大戦の終了で解放された強制収容所の話として、アメリカ軍兵士たちが解放してくれた喜びから囚人たちが駆け寄ったのですが、自分たちの身なりの酷さに気づいて多くの人々が所内に隠れてしまったと聞きました。我が姿を恥じたわけです。その逸話はユダヤ人問題を扱ったドキュメンタリーで知りました。

「屋根」の時代は、日々の食料にも困っていた戦争直後から少し後で、しかし新婚夫婦は親族の家に間借りするしかなく、新婚の営みなど考えられないのでした。それが「太陽はひとりぼっち」のようにオリンピックの後だと、選手村に住んでいるから自由に恋愛できるのでした。

夜中に近所を歩き回ったモニカ・ヴィッティが、国旗を掲揚していた旗竿にロープがぶつかる音に気を取られるシーンが印象的。近代的なアパート(日本で言う団地です。「わらの男」の字幕には不満だな)に住むと、自由恋愛が可能になるのでした。アントニオーニの場合、“愛の不毛”がテーマとなっています。

その「屋根」と「太陽はひとりぼっち」の中間に位置するのが「わらの男」でした。はたから見れば“わらの男(つまり案山子のようなバカ男)”ですが、9歳の息子に続く子供が欲しいという亭主です。働き盛りで、女房もまだまだその気がある。そこに22歳のリータ(普通表記はリタとするけど、イタリア語ならリータか?)が現れるのです。

このリータは、実は兵士と連れ立って歩いていて、家での会話で結婚が近いとなっています。しかし、結婚相手がその兵士だとは一言も言ってません。あくまでも物語は“わらの男”の不倫問題がテーマであって、リータが誰とどうつきあっているか詳しくは描きません。←もちろん兵士はアメリカ兵ではなさそうですが。

リータの父親は、“娘は給料を全額家に入れてくれている”と大満足のようですから、小遣い稼ぎに兵士とつきあっている可能性もある。だからこそ、中年に差し掛かったアンドレアに惚れてしまったのではないか、と僕は想像します。さらにその恋が“許されない恋”であることを考えると、リータが自殺することも納得できます。←現実問題ではありませんよ。映画の話としてです。

そして劇中ではアンドレアの親友ベッペ(サロ・ウルツィ)が、リータの事故死説を展開してアンドレアを救おうとします。このベッペとアンドレアは、もしかしたら共に反ムッソリーニ派かパルチザンだったのかもしれない。それなら工員たちを管理する地位にいて不思議はないし、ローマを解放した自負もあったのでは?

というように、映画の背景となった時代やその動きを考えると、いささか分別の足りないバカ男の話ですが、より納得しやすくなります。そもそも、そんなことまてで気を回さなくても、男と女の出逢いをここまで情感豊かに描けば、社会状況なんか知らなくても納得できるでしょう。

イタリアン・ネオリアリズムは、まずロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」とデ・シーカの「自転車泥棒」から始まり、そこへルキノ・ヴィスコンティが加わってミラノなど北部の状況も描かれました。デ・シーカは「ふたりの女」で、疎開先での悲劇を描きます。一方、ピエトロ・ジェルミはシチリアへ舞台を移し、「イタリア式離婚狂想曲」では、フェリーニの「甘い生活」に狂喜する庶民を描きました。

1960年代後半になると、イタリア映画はマカロニ西部劇で稼ぎ始めます。その前は、ハリウッドの若手や二流どこを迎えての歴史劇(女性の衣装が薄く、僕のような中学生はこぞって見に行きました)で稼ぎます。キスシーンをカットするという教会の圧力は、ほとんど例外だったと僕は考えます。

そういえば「誘惑されて棄てられて」は、姉の婚約者が妹に手を出す話でした。「越境者」(1950)、「街は自衛する」(1951)とはずいぶんテーマが違いますね。ジェルミは後年、艶笑コメディーで手腕を振るうのでした。彼は60歳で亡くなっていますが、もっと映画を作れたでしょうにね。経歴としては1939年に俳優としてデビューしているので、俳優から監督に転じたということでしょう。監督主演は「鉄道員」(1956)からか。

とりあえず、ドラマを成立させることがピエトロ・ジェルミの主眼で、ロッセリーニやデ・シーカのような社会問題告発は二の次のように思えます。それが“正しい監督の姿”なのですよ。既成政党の手先になって満足していたら、“前衛”の退廃と共に消滅してしまう運命なのです。

なお「わらの男」のドイツでの題名は「…uns draussen lauert die sunde」(ドイツ語だとssは ß となります。そしてsundeのuはウムラウト)で、“太陽は隠れている”という意味らしい。ドイツでは不倫のことをこう呼ぶのでしょうか?
写真2はアンドレアと妻(ルイザ・デラ・ノーチェ)、写真3がフランカ・ベットーヤ。
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