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2024年03月10日05:01

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この映画には“ボーッと生きてるんじゃないよ!”とアタマに一撃を喰らいました。ライナー・ウェルナー・ファスビンダー監督「不安は魂を食いつくす」(1974)。

まさか50年前の映画を見て、ガツンとアタマに一撃を感じるとは思いませんでした。知っている俳優は一人もいないし、どんな映画かも知らずに、単に92分と手頃な長さだからと見始めたのですが、途中から居住まいを正して見てしまいました。たしかに僕は最近“ボーっと生きていた”だけだったと痛感。

たまたまこの映画を見る前に、川本三郎さんの「映画の木洩れ日」で、“人類を愛することはやさしいが、隣人を愛することは難しい”という言葉を知り、実に深い言葉だなと感じ入ったしだいです。それがアンドレイ・サハロフという“ソ連水爆の父”の父と呼ばれた博士の言葉(ロシアの詩人の一節として引用したもの)だと、ネットを検索して知りました。

物語は、掃除婦として独り暮らしをする老婦人エミ(ブリギッテ・ミラ)が、雨宿りにバーに入るところから始まります。そこにはモロッコからの移民たちがたむろしていて、お呼びでない冷たい雰囲気が(写真2)。しかしエミは時間を潰すためコーラを注文します。すると、居合わせたモロッコ人男性のアリ(エル・ヘディ・ベン・サレム)からダンスを誘われ意気投合するという展開でした。

そのアリの言葉として“不安は魂を食いつくす”と語られます。原題が「Angst essen Seele auf」で、英訳すると“Fear eats up the soul”で邦題そのものですが、ドイツ語としては“Angst isst die Seele auf”とするのが正しいらしい(by Imdb)。つまりモロッコからの移民のカタコトのドイツ語という意味が含まれているようです。

その言葉通り、エミの隣人たちはアリに不安をいだき、エミの家族たちでさえ不信感をあらわにします。しかしエミとアリが旅行から帰ってくると、隣人たちは平静を取り戻して隣人として親しくつきあい出す。しかし…、という展開でした。

それにしてもこの映画。実に淡々と展開します。僕が見たバージョンはヨーロッパ・ビスタよりも4:3に近い画面サイズでしたが、そのカメラがフィックス中心で冷徹なほど。もちろん食料品店に不満をぶつけに行くエミの歩く姿を横移動で捉えたりしますが、撮影監督がユルゲン・ユルゲス(ミヒャエル・バルハウスではない)のせいかフィックス中心でした。

この映画では“不安”と訳していますが、“Angst”は“怒り”であり“恐怖”ですね。この単語をそのままタイトルにした愚にもつかない映画がありましたが、忘れてしまいたいと思います。そんな愚作を思い出すなんて、ファスビンダー監督に失礼ですから。←って、思い出しちゃってごめんなさい。

てなわけで、僕はまたしても胸ぐらをつかまれ、自分の生きざまを問われた訳です。オーバーハウゼン映画祭がテーマにしていた“隣人への道”を、我々はやはり正しく歩むことはできないのかもしれません。僕はついに、バーの女主人のようにアリを優しく受け入れることはないのかも。まずは、この映画をご覧ください。

写真3がエミの息子たちと娘夫婦。娘の夫をファスビンダー監督自身が演じているようです(左から2人目、アンクレジットでした)。
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