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2023年06月22日11:56

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日本人の原型

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"商売している商人というものは、どういう精神構造ですかね。たとえば要領の良い、自分が生きるため、自分が儲かるため、人を何とも思わない、そういう境遇で育ったものが、或る極限の状況でポツンで現れて来るのではないか、と僕は思ったりするんです。"

本書、「商売と商人」から『ある神話の背景』/曽野綾子/文藝春秋刊の孫引き

私には沖縄に友人が一人いる。彼から商売についての考え方を聞いたことがないので断定はしかねる。ただ、司馬さんが引用したように、かつての沖縄には商人という存在を卑しむ傾向はあったようだ。それは幕末まで琉球と呼ばれていたこの地域が、室町期の華やかな中国との貿易以外では生産性が低かったのも確かに原因ではあろう。

加えて江戸期において、ここが薩摩藩(現在の鹿児島県)に武力制圧され搾取され続けてきたことも商人や商売に対する嫌悪感を抱かせてきたのではないか。本書の中で、司馬さんが沖縄の人たちが本土つまり日本人に対してある種の恨み・つらみを持っている点を標本したのも弱い立場にあった方たちの声なき声を聞き逃すまいとする表れであろう。

同時にこの書では、沖縄人を日本人の原型として見、かつての日本人が持ち続けた素朴な美点を抽出している。この紀行文で描写された沖縄は本土復帰から一、二年しか経っておらず、本土からの強欲な資本とのせめぎ合いに苦慮していた頃である。

冒頭で触れた孫引きの会話文からも、この地域の人々が商人に代表される輩への不信感を抱き続けていた事は窺われる。同時に既に漁師が取った魚の余りを他人に売買するという、原始的な商売が始まりつつあることも記されている。

五十年近く経ち沖縄はどう変化したのだろうか。メディアを通して見るこの地は、県民は純朴であり未だに在日米軍の基地問題で揺れているという側面が強調されている。私が見聞した沖縄県民(それとも沖縄人と言うべきか)はごく少数だ。それでも接した方々はどなたも純朴を絵に描いたような優しい人たちばかりであり、県民性は昔と大して変わってないようにも思える。

司馬さんが日本人の原型と指摘しているように、沖縄の人々の中に失われた日本人らしさを保っていて欲しいと思うのは私とて同じだ。しかしこれをお仕着せと感じる県民も多いのかもしれない。友人もそのように感じる一人だろうか。

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