先々週あたりから道に仰向けとなったアブラゼミの死骸をよく見る。今日はうちの庭(のタイルの上)に一匹のアブラゼミがついえていた。亡くなっているのか虫の息なのかがわからないので、摘まんでよく見てみた。残念ながら死んでいた。
どうしようかな、としばし考え、山に向かって軽く放り投げてから頭を下げた。これが哺乳類なら埋めて差し上げるのだが、昆虫一匹にそこまでの手厚さは似合わない。
しばらく経ってから、研究している詩人のエピソードを思い出した。
パソコンの中から割と簡単に見つけることが出来た。
1940年9月23日の朝、詩人は現川口市の荒川の土手を歩いていた。
<その時こごえてゐるやうな小さい甲虫を見つけた。いつものくせで觸つて見る。動かない。そして足部がぐんにやりしてゐる。
私は掌にのせて、朝陽を浴びせてみる。気のせいかしらないけれども。足の先が少し動いたのである。私は掌に抱いて数歩あゆみ、之を土にせずして草の枝の上に置いた。
土に埋めてのち万が一にも生きかへつて、この甲虫が相識るこの秋に故なくして中断され、息を引きとることをおそれたからである。>
<その後、五日たつて二十七日の夕、私は又草堤を歩いた。雲は低くたれ、雨もよひの空である。
私は歩きながら一寸下を見ると、金ぶんぶう(編者註 甲州の方言)が死んでゐた。それを手にのせる。私は、これは埋めようと思つた。而し掌にのせて見てゐるうちに、その金ぶんぶうの腹から蟻が出て来た。二十匹位、ゐる。
{P1040207}
この小蟻たちがこの虫を食物として仕事をしてゐたのである。私が土から拾ひ上げたので、その動揺で腹から出て來たのである。
蟻をこの腹から出してのち、土葬せんとした。而しやめた。生きてゐる蟻が可愛く想はれたのである。
而しこの年の或る六月の或る午後には、自動車にひかれてぴしやんこになつたねづみの死軆を道の土から掘り出して、丸い石を墓にした。又或る午前、風の吹いてゐる町の小径で私は足が折れて死んでゐるコホロギのやうの虫を土に埋めた。>
私はこの詩人のような変わり者ではないのだが、自然観についてはかなり近い。いや、同じと言ってもいいかもしれない。
詩人は蟻が異様に好きだった。湖畔の庵で、夜、蟻を延々と見つめ、餌をやり、それを詩に書いた。私も大人になってからは蟻一匹殺せないような性格となり、たとえば夏前から夏の終わりにかけて、家の中で時々蟻を見つけるのだが、気が向くとつまんで外に放り出したり、気が向かないと見なかったふりをする。だからたまに足元を嚼まれる。痛いというほどではないが、チクッとする。
蟻を拾い上げてしげしげと見る人は少ないのでほぼわかってもらえないだろうが、本当によく出来た”筐体”だと思う。神が私たちや昆虫を作った、というようなお伽噺はあり得ないが、蟻を見てるとこれほどにうまく出来た物はないのではと嬉しささえ感じられる。
人間から見ると歩くのがのろいけれど、何か事が起きると5倍速で走り出すというのもすごいなあと感心する。
そう言えば日中、セミの声が小さくなった。夜に鳴くコオロギやスズムシの声がうるさいほどになった。既に初秋?
お昼、道ですれ違ったご近所さんに呼び止められて、「うちで作ったブルーベリージャムを差し上げたいんですけど」と言われる。まさかと思ったが訊いてみた。
「ひょっとして自分ちで獲れたブルーベリーなんですか?」
そうだ、と言う。
ありがたくいただくことにし、ご自宅まで取りに行った。ブルーベリーの木にはまだ実が付いていたので一粒いただいた。
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