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2022年08月08日21:16

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ワクチン4回目接種と、石橋湛山に関するメモ書き

 昨日7日の日曜午後5時、市役所にてコロナワクチン4回目を接種(ファイザー)。いつ注射をしたの? というくらいに痛みなく終わった。その後、接種証明書と一緒にポカリスエットの小さな缶を渡してくれた。
 前回は数時間後から熱が出て(38.5度)多少とも苦しかったが、今回は24時間が経っても熱はない。しかし、膝に力が入らないほどの全身倦怠感があって、それをダシにいい加減な一日を過ごしてしまった。
 昼前と昼食後、昭和15年4月21日付の山梨日日新聞に寄稿した詩人の随筆をデジタル化すべく打ち込んでいたのだが、新聞紙をA3に縮小コピーされたものゆえ、字が異様に小さい上につぶれがある。マイクロフィルムで保存されたものだから当然かもしれないが、それにしても蟻の目よりも小さな級数で、「處」なんて画数の多い漢字は姿形で判断するしかない。固有名詞(地名)なんて勘だけでは判読できず、所々虫食い状態になってしまった。
 ああ、かったるい、と嘆いていても、誰かがやってくれるわけでもない。リーダーになるよりこつこつと下働きする方が性に合っているのだが、体力とか眼力が衰えてくると秘書やボランティアに指図だけして「後は野となれ山となれ」みたいな国会議員のほうが、私には向いているのかもしれない。編集にしても、事務にしても、営業にしても、出すべき答えと目指すべき目標は明確にあるのだが、議員というのは「国民の生活と命を守る」などと綺麗事を言ってさえいれば務まる稀有な仕事だ。
 いや、そうでもないか。
 朝日新聞土曜日の別刷り「be」の連載コラム、原武史の「歴史のダイヤグラム」で紹介されていた石橋湛山の「靖国神社廃止の議、難きを忍んで敢えて提言す」という分に少々感動を覚えた。
「我々はここで全く心を新たにし、真に無武装の平和日本を実現するともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それにはこの際国民に永く怨みを残すが如き記念物は仮令いかに大切のものといえども、これを一掃し去ることが必要であろう」
 石橋がこれを書いたのは1945年9月22日の夜、身延山久遠寺門前の旅館「山田屋」にて。前半部分はそれから1年後に公布された日本国憲法前文に酷似している。
 保守政治家、岸と争った末の総理大臣。
 昔の自民党って社会党より革新的な保守政治家がいた。っていうか、政党は政治家にとっての家であって、その家が保守であるか、(世間的には)革新であるかという程度の隠れ蓑である。
 先月の参院選で立憲民主党に票を投ずるという選択肢は、私にはなかった。胡散臭さという点で言えば、統一教会の支援を頼む自民党、創価学会頼りの公明党と同様、いまや経営側の組織かと思えるほどに右旋回の「連合」を拠り所とする党に期待感なんて持てない。
 自分は時々、保守的であると思うことがある。
 そもそも生活スタイルは保守的だし、マナーについても結構うるさいほうだし、生きる上での信条は下級武士の生き方を良しとする父の影響を受けてしまった。「武士に二言なし」「李下に冠を正さず」といった古い教えが身に沁みついちゃって、世間に出たら戸惑うことばかりだった。両親は私がウソをつくことを決して許そうとしなかった。不正を嫌った。父は自民党結党以来の党員だった(笑)。いつから保守って馬鹿な上に、これほどまでに良き日本の伝統文化を踏みにじるようになったのか。
 答えは明白、明治以降だ。明治天皇と日本軍の支配以降、傲慢さと腐敗と思考力停止で保守が保守でなくなった、という気がする。
 
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