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2022年05月31日10:03

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畿内の諸道

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初期における『街道をゆく』の妙味は、一冊の著作にさまざまな街道での話が含まれていることだ。

特に筆者の司馬さんの庭先に近い、畿内周辺の街道となると肩の力を抜いて書いているようでそれが心地よく感じられる。

たとえば始まりの「洛北諸道」などは、最後の辺りなどは司馬さんのちょっとした身の上話を聞いた気になる。

ご存知のように、司馬遼太郎という人は自らを語ることを潔しとしなかった作家だ。私小説家を輩出した我が国では極めて稀なタイプではある。

そんな彼ですら、奥様の在りし日の外祖父のことを話題にしたのは、たとえそれが埒もないエピソードであろうとも語らずにはいられなかったのだろう。

それと"無名の長州人"の中で描かれている西園寺公望のエピソードは、本人には気の毒ながら若い頃の人間が出来ていない時期だから余計に滑稽に映るのだろうと微苦笑しながら読んだ。ー「洛北諸道」

柴田勝家というと、後世の私たちは秀吉と天下を争って敗れた愚将と見がちである。しかし『祖父物語』によると、勝家が勝っていた戦と捉えているという。

いわゆる賤ヶ岳の秀吉陣営を、柴田方の佐久間盛政が焦って襲撃しなければ柴田に天運が傾いていただろうと言うのだ。

持久戦になっていれば、秀吉のほうが敗れていたかもしれない。この事実は、ある意味歴史が勝者の側から書き換えられがちな背景を浮き彫りにしているといえる。

とはいえ、司馬さんはこの一戦を秀吉の作戦勝ちとする考え方を傍証で説明している。

少なくともこれを読む限り、歴史の勝者になり得る者はなるだけの周到な準備と緻密さを兼ね備えているのだなと思わされる。

逆にたった一人の部下の跳ねっ返りも止めることができなかった勝家は、愚将ではなくとも勝機を失うべくして失った敗将にならざるを得なかったのだとため息をつきたくなる。

浮世のことは、多くの人たちの思惑で動くからこそこのような悲喜劇が起こるのだなと得心した。ー「北国街道とその脇街道」

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