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2021年07月20日13:22

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「美女と野獣」オンライン鑑賞会(その2)

★お父様!(以下2幕)
三馬鹿がよってたかってマッサージするのを迷惑そうなお父さん。その後も陽気なワルツをBGMに、気を引こうとあの手この手でお父さんを翻弄する3人、もう勘弁してくれーのお父さん。するとひとりが野獣の真似をし、リーダーがナイフで刺す仕草。野獣なんかこうしてやっつけてやりますよ、の小芝居だが、これがエンディングへの伏線となる。

そこへベルがやってくるが、父親たちは仙女が彼女に見せている幻想なのか、止めることはできない。どこかへ連れ去られるお父さんを追って階段を上ると、触れたのは野獣だった。

★別れ
どうした、と心配そうな野獣、元気のないベル。そこへ小さい頃のベルと父親の仲睦まじいPDDが交錯してカトルになる。ベルがお父さんをどれほど大切に思っているか、ということを野獣に伝えているのだろう。

カトルからPDDになると2人は床に腰を下ろし、互いに見つめあう。我々の心はもうつながっているから大丈夫、というつもりで野獣は指先を伸ばしかけるが、ベルの指が触れた瞬間、手を引っ込め、うつむいてしまう。野獣はこの時、どういう心境だったのだろう。

最初は爪がベルを傷つけてしまうのではと咄嗟に引っ込め、それにより自分の異形を再認識してしまったのではないだろうか。そうなると、心が通じているというのは自分の妄想というデススパイラルに陥り、思い上がった己を恥じて顔を伏せてしまった、とか。そんなことないよ、とベルは自ら指をあわせるが、お父さんの心配もあるので笑顔にはならない。

階段の上にお父さんの幻影が現れ、それを見たベルは野獣へと振り向く。わかった、私のことは気にするな、お父さんのところへ行っておいで、と優しくうながす野獣。申し訳ない気持ちと、父親に会える喜びの混ざりあった、笑顔とも悲しみともとれる絶妙な表情を浮かべて(こういうところが小野さんの真骨頂)、ベルは階段の上へと走り去る。

強がって送り出した野獣だが、すぐに後を追って階段を駆け上がる。前に書いたように、大道具を半回転させるだけで、城壁からベルを見送る構図になる。

★ベル、帰還
三馬鹿の過激な出迎えをかいくぐり、父親とハグするベル。喜びに泣き崩れ、怪我はないか心配する父に、ベルは大丈夫、どこもなんともないよ、と胸元に入れていた薔薇を嬉しそうに見せる。それがなんの薔薇か知っている三馬鹿はとりあげようとするが、だめっと大切そうに身をひるがえす様子でベルが野獣をどう思っているかがわかる。

★野獣になったわけ
旅の疲れに薔薇を手にしたまま眠りにつくベルの元へ、薔薇の化身たちが忍び寄る。この時使われる物悲しくも荘厳な曲(ガドフライのイントロダクション)が印象的。

王子の過去は薔薇の化身が見せているのだろうから、一連の出来事の裏にいるのはやはり仙女か。こう書くと(原典では)王子に結婚を迫ったり、野獣に変化させたりと、真の悪役は仙女のように思えてくるが、見た目で物事を判断するような浅はかな人間にはなるな、本当の獣とはなんなのか考えよという、乳母でもあった仙女の最後の教育的指導だった、と解釈した方が収まりはいい。(笑)

ちょっと気になったのは、王子が夢の中で仙女を拒否する仕草は、マッジを拒むジェイムズほど感じが悪くないという点。顔を見て一瞬驚くし、宿代にと渡された薔薇を無造作に捨ててしまったりはするが、淡々と断る感じ。もっと嫌そうにした方が演出的にはわかりやすいが、それだと王子の性格まで悪くなってしまうから(基本、王子の人柄は良いことが臣下たちの態度からわかる)、あえてそっけなく事実をなぞるだけにしたのだろうか。

また目覚めたベルが「毅然とした態度」で再び旅立つ様子を不思議に思って観ていたが、お師匠さまは「あらすじ」を読んでいなかったにもかかわらず、仙女のセリフが脳内に自動再生されていたので(「悪役のセリフって、どれも似たようなものでしょ」)、とても合点がいったという。ベルは自分が野獣とその臣下たちを救える唯一のキーマンであることを夢から悟ったのだろう、と。

・・・鳥頭で出来の悪い弟子は、読んでいたのにすっかり忘れていました。(笑)

肩を落としつつも好きにしなさいとベルの意思を尊重する父。三馬鹿のリーダーは最後まで執拗にベルに迫るが、他の二人は娘に去られた父に哀悼の意を表して首を垂れる。何気ないしぐさだが、やがて狂気から獣化してしまうリーダーと、一応人間の心は失わなかった2人の違いを描いているのだろう。

★怒り狂う求婚者
それまでのコミカルさは姿を消し、怒り狂うリーダー。他の2人と村人を巻き込んで野獣の城へ。

「憤った中家さんがひとしきり踊ってから背を向けて腕を回し上げるところ、歌舞伎っぽい」とお師匠さま。

★野獣、悲嘆にくれる
剣呑な状況を知らない野獣は、やはりベルはもう帰ってこないのか、と悲嘆に悶え、夜空に咆哮する。なぐさめようとするサルも、かける言葉がない。

★決闘
そこへ駆け込んでくるベルだが、再会を喜ぶ間もなく村人が押し寄せ、物語は佳境へ。野獣を倒そうと大挙押し寄せる村人の前に立ちはだかるベル。宮崎駿のヒロインみたいだ。

すると村人を割って駆け寄ったリーダーは強引にベルを野獣の元から引き離すが、そのあと乱暴にベルを突き飛ばす。愛する人にすら気遣いもできない彼に、もはや人間の心はない、ということなのだろう。乱闘場面ではリーダーがやけに強く描かれるが、これも見た目は人間だが中身は野獣、という意味なのだろう。野獣とリーダーの一騎打ちは、もうどちらが獣なのかわからない。

舞台のすみでは、サル隊長に獲物を振り上げる村人に対し、ベルが背後から一撃を加えている。やはりヒロインはこうでないと。

「中家さんの怒りの場面は、姿形こそ野獣にはなっていないけど、人が野獣化する=凶暴化するという感じだよね。人が変わったように、躊躇いがなくなる。ベルのこともあっさり振り払うしね。野獣の姿をした人と、心が野獣化した人との対比」

リーダーが荒ぶる様子は、欲望に支配された人間の野獣性を表現しているのだろう。

「『美女と野獣』という作品は、「人は見た目ではない」と言い出すと、ベルや王子が美形である必要性はあるのかとか、男女逆でも成り立つのかとか、話がややこしくなる。「野獣と人」というテーマでないと嘘っぽくなるんだよね。人の皮をかぶった獣のような人非人みたいな犯罪者はいるし、動物の方がよほど愛情深い時もある。野獣って、獣って何だろう? 人と獣の違いは? というテーマの方が納得できる」

「ラスト、(三馬鹿の)木下さんと池田くんは人間に戻ったメイドを口説いているけど、そこに中家さんが居ないのは、やっぱり寂しいね」

という流れから、中家さんの古典悪役も観たいねという話に。

「ベタにロットバルトとかで観たい。踊るロットバルトがいい。アブデラクマンも。もちろん踊るアブデラクマンで。悪役ではないけどエスカミリオとかエスパーダもいいな」

「オレンジマンはどうです? 大僧正やラジャも。今回のひょうきんな役回りを観ていると、パシャは硬軟両方いけそうですね」

「ティボルトとかヒラリオンとか。オネーギンはどうだろう。ちょっと逞しすぎるかな? 踊るタイプの頼もしいコンラッドも良いな。長身だし、マントをなびかせたジャンも似合いそう」

脱線はとまらない。(笑)

★愛しています
「刺されてもリフトしてしまうし、痛そうに傷を押さえた手でベルを触っていたらベルも血塗れになってそうだけど、そこはなかなか死なないマキューシオとかティボルトと同じ、舞台のお約束かな」

はい、弟子も同じことを思っていました。(笑)

「野獣が絶命した場面は、ジュリエットの仮死からの目覚め=ロミオの死に直面した場面とかぶるね。悲劇でなくて良かった」

三馬鹿の生き残り二人は、前出の馬同様、放逐される。

最後にもう一度、床に腰を下ろした2人が指先を合わせる場面がある。この時はなんのためらいもなく、2人は幸せそうに見つめあい、キスをする。1回目と2回目では2人の距離間がまったく異なり、さらに初めて出会った時、伸ばされた野獣の手を恐る恐る掴んだことを思うと、2人の関係性の変化が如実にわかって微笑ましい。

★フィナーレ
大団円シーンでは、変身がとけたにもかかわらずサル歩きの隊長に歩き方が変ですよとメイドが注意したり、生き残りの求婚者が別のメイドを追いかけまわしたりとのベタなギャグも楽しい。


原典は著名な作品ということで、タイトルは「美女と野獣」だが、コミカルでほっこりする内容は「ベルと野獣の王子様」でも良いかもしれない。(笑)

ベルが指に棘を刺した薔薇は最初胸に入れて持ってきたよねとか、美青年の王子に人は見た目ではないと言われたくないとか、ナイフで刺されても踊りまくるなど、ツッコミどころもなくはないが、細部にわたり繊細な演出がなされているのがわかる(小野さんと福岡くんをはじめとするダンサーたちの演技力のおかげも大きい?)。

古典の名作を銀座の老舗やミシュランの三ツ星レストランに例えるなら、宝満版「美女と野獣」は、近所にあって毎日でも通いたくなる、でも板さんの腕前は確かで日本酒にも造詣が深い小洒落た居酒屋だろうか。

ビントレーさんはもちろん、英露のバレエ・ファンがどのような感想を持つのか見てみたいものだ。

「じわじわとくる作品だね。接続を切るのが惜しい」
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