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2021年05月30日18:03

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ご近社寺さん、ご訪問 5.30

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本日一番初めに参拝するのは、浄土寺。
先週(5/23)の日記のお約束通り海老名七福神でもある、蛭子様(恵比寿様)から参拝する。

七福神全てが恵比寿様のように、写真のような生き生きした「恵比寿七変化」を見せてもらえた。

眼福、眼福、ありがたや、ありがたや。

さて本日は、山岳系ではなく、平野の海老名のいろいろなお寺さん、神社さんをまわる(蛭トラウマにより)

その中で特に「国分寺」と「有鹿神社」での出来事を書いてみる。

ナビでの道案内で到着したのが、国分寺である。

しかし、そこはだだっ広い原っぱだった。

よくみると、国分寺跡と石柱が立っている。

自分たちが行きたいのは、今の国分寺。

しかし、何度道案内どおりに行っても国分寺跡へいってしまう。

もしかしたら、もう国分寺はないのかも。

諦めて次へ向かおうと車を走らせると、とんでもない所に「国分寺こちら」の矢印の看板を見つける。

やや高台にある国分寺は、低い裾野からだんだん上がっていくようなのだ。

わかりにくい道の先には国分寺駐車場があった。

やったぁ。

ほとんど人が来ていないのだろう、その駐車場は草ボウボウだった。

駐車場と本殿階段に狛猫(只ノ猫とも言う)が二匹出迎えてくれた。

阿猫、吽猫と仮に名付けた狛猫たちは、二匹ともかなり近づいても逃げずに、おみゃーら、だりや?と睨み返してくる。

境内の階段で夢中で毛づくろい中の吽猫に睨まれた時、すごすごと後付さりすると、手水舎のような所があって、そこに郷土かるたの石柱が立っていた。

「わ 若き尼の 恋物語 尼の涙水」

海老名ではこうやって史跡をわかりやすくかるた風にして案内しているようだ。

実は、手水舎だと思った場所は、尼さんの供養塔だったのだ。

少々長くなるが物語はこうだ。

[朝日さし 夕日輝く 国分寺 いつも絶えせぬ 尼の泣水]

誰が歌ったものかはわかりませんが、この歌とともに「尼の泣き水」伝説が語り継がれています。

天平13(741)年、聖武天皇は人々の平和な生活を願って、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てるように命じました。

相模国では、風光明媚な土地である海老名の地に建てられることになりました。

やがて天をつくような七重塔がある国分寺が建てられ、そこから北に500mほど離れた場所に国分尼寺も建てられました。

その頃、国分寺の下を流れる相模川で、魚を取って暮らしていた若い漁師がいました。

その漁師はいつしか国分尼寺の尼さんと知り合い、たがいに愛し合うようになりました。

尼さんは結婚が禁じられていましたので、2人は人目を忍んで逢瀬を重ねていました。

ある日のこと、若者が困った顔をしているので尼さんは何か心配事があるのですか、とたずねました。

若者はなかなか口を開かなかったのですが、やがて決心し、七重の塔を含めた屋根の飾りがあまりにまぶしく輝くので魚が逃げてしまい、漁をしても魚が取れないと話しました。

尼さんはどうすることもできないので、だまってしまい、2人はさびしそうにその場は別れていきました。その夜のことです。

「火事だー。火事だー。国分寺が燃えているぞー」漁師のことを思うあまりに尼さんが国分寺に火をつけたのです。

一度燃え始めた国分寺は、消すこともできず、一晩のうちに焼けてなくなりました。

尼さんは捕らえられ丘の上に生き埋めにされ、竹のこぎり引きの刑に処せられてしまいました。

その後、不思議なことに、その場所から一滴二滴と湧き水が流れ出ました。

村人は尼さんが罪をわびて流している涙といって、その湧き水を「尼の泣き水」と呼びました。

尼の泣き水は海老名小学校の上の台地にあって、昭和40年代頃まで清水が湧きでていましたが、いつとなく枯れてしまいました。

またこの場所に供養塔が建てられましたが、薬師堂(現国分寺)境内に移されています。

と言うことだ。

自分が見たのは、この供養塔だったのだ。

そして、先程行った国分寺跡は、この尼さんが焼いてしまったお寺(国分寺と国分尼寺)の跡だった。

これを読んで、有名な江戸の火事「振り袖火事」を思い出した。

江戸時代の「愛」や「恋」は今のようなプラトニックな部分はなく、どちらかと言うと「欲望」に分類されていて、無くすべき迷いだった。

なので、昔の人はこの物語を聞いても、可愛そうだと言う今の感情より、してはならない教訓として語り継がれたのではないかと思う。

にしても、不倫や道に外れた恋や愛は、今も昔も道徳倫理を超えて、やめられない魅力的な事なものなのかもしれない。

自分が何度も何度も「道を踏み外し、間違った」国分寺に行ったことも、今にして考えると、尼さんが何かを訴えていたのかもしれない。
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さてあと一つは「有鹿神社」

少し前に、日本最古の神社、有鹿神社(本宮)を訪れたのは、ここ海老名てはなく、南区磯部にある縄文時代の遺跡、勝坂遺跡の近くにある有鹿神社だ。

有鹿神社はそれからいろいろな場所へと勧進されていて、ここ海老名の有鹿神社もその昔、磯部からここへ勧進された。

この海老名の有鹿神社から少し離れた場所に、有鹿の井戸からは神の石がでて来たと言われている。

つまり磯部から海老名まで広大な有鹿の森があったらしい。

古代のロマンだ。

そして、ここ海老名の有鹿神社の名物?は、パンダ宮司だ。

パンダのかぶりものをした格好で宮司が舞を踊るらしい。

残念ながら今回は見れなかったが、特別な行事には見られるらしい。

何故、パンダなのか、その疑問を素の宮司に質問したところ、パンダの格好をしているのは、宮司の姪で、顔がパンダに似ているから、と言う応えがかえってきた。

え?顔が似ているから?

せめて、鈴を鳴らすときにシャンシャンと鳴らすから、シャンシャン繋がりでとか、中国ではパンダは神獣で吉兆のしるしとかの由縁を、無理くりにでもして欲しかったのに、似ているからなんて……☆ひとつ。

でも、面白かったのでお守りを購入、もちろんパンダ柄。
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桜井識子さんによると、平野の神様は柔和、周りとの調和で家内安全、夫婦円満をお願いし、山岳系神様には頑張り、武運、必勝祈願などをするとかなうらしい。

今回海老名の神社をまわってみて、感触として、山岳系の神様は修行のように厳しく、平野の神様は柔和な、参拝者を楽しませてくれる雰囲気がして、なるほどなぁ、と思った。

5.30 海老名 

東光山国分寺(高野山真言宗)
海老名市国分南1−25−38
院号 医王院
寺号 国分寺
本尊 薬師如来像

相模国の国分寺として天平9年(732)に創建、火災焼失や地震倒壊に遭いながらも再建され、神仏の信仰篤い源頼朝からも読経を命ぜられていました。その後戦乱により堂塔焼失、薬師堂を当地に移して法燈を維持、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)薬師堂領として寺領2石の御朱印状を受領しています。


龍峰寺(臨済宗建長寺派)
海老名市国分北2-13-40
千手観音立像と共に復興されまし
京都の清水寺本尊像と共通するもので、「清水寺形千手観音」と称されるものである
面部を仮面状に矧ぎ、玉眼を嵌入する特異な構造になる
寺紋は「丸に笹竜胆」と「北条鱗」。

海老山総持院(高野山真言宗)
海老名市河原口3−11−10
寺号 満蔵寺
本尊 虚空蔵菩薩像
総持院は、有鹿神社の別当として天平勝宝6年(754)創建、天正19年(1591)には徳川家康より寺領10石の御朱印状を受領したといいます。

稲荷山安養院(曹洞宗)
海老名市河原口2−4−12
院号 安養院
寺号
本尊 釈迦牟尼佛像
三眼六足稲荷」が祀られており、古来より”除災招福の神様”といわれている。

上郷山龍昌院(曹洞宗)
海老名市上郷1-20-1
院号 龍昌院
寺号 -
本尊 釈迦牟尼佛像

永珊寺(曹洞宗)
海老名市下今泉4−2−8

宗珪寺(曹洞宗)
海老名市下今泉1−22−1
御本尊 釈迦如来

常泉院(曹洞宗)
海老名市上今泉4−3−1

龍池山海源寺(日蓮宗)
海老名市中新田1−1−22
寺号 海源寺
本尊 阿弥陀如来像

龍池山増全寺(浄土宗)
海老名市中新田2−15−36
寺号 増全寺
本尊 阿弥陀如来像
相模七福神 福禄寿

諏訪山東興寺(曹洞宗)
海老名市中新田1−13
寺号 東興寺
本尊 釈迦如来像
中新田諏訪神社の別当

長現山妙常寺(日蓮宗)
海老名市浜田町23−25
寺号 妙常寺
本尊 三寶祖師像


有鹿神社(旧郷社、相模国五ノ宮)
海老名市上郷1−4−41
社号 有鹿神社
祭神 大日靈貴命、有鹿比古命、有鹿比女命
延喜式にも高座郡小社五座の一つとして記載された古社です。江戸時代には海老名郷五村の総鎮守社として祀られ、明治6年には郷社に列格していました。
有鹿谷の泉は、縄文の水神信仰の対象。泉落ちる鳩川に沿い、海老名の大地が成り、農耕の豊穣と安全を祈り、水引祭が起こり、創建。霊験あらたか
昔より当社の氏子間では、有鹿神社の御祭神が蛇体に姿を変えて、相模川をさかのぼられ、上磯部の丘に上られたとき、そこに作ってあったささげのさやで目を傷められたという言い伝えから、御祭礼にはささげを用いない習慣となっている

三王三柱神社(-)
海老名市上郷1−3
当地の総鎮守有鹿神社を守護していた

有鹿神社中宮(-)
海老名市上郷1−12
神祠の東北池中に於て、石一顆を得たり」と記載される有賀神社の神体が出現した池の地

弥生神社(-)
海老名市国分北2−13−13
御祭神
誉田別命 ( ほむたわけのみこと )
猿田彦命 ( さるたひこのみこと )
高産霊命 ( たかみむすびのみこと )
日本武雄命 ( やまとたけるのみこと )

浅間大神(-)
海老名市下今泉5−8−15
御祭神
木花咲哉姫命 ( このはなさくやひめのみこと)

中新田諏訪神社(旧村社)
海老名市中新田2−19−14
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命

伊勢宮大神宮(摂社)
海老名市中新田3−7
社号 伊勢宮大神宮
祭神 天照大神

山王原山王日枝社・稲荷社(摂社)
海老名市中新田5−20−7
社号 山王日枝社・稲荷社
祭神 大山咋命(山王日枝社)

大谷八幡宮(旧村社)
海老名市大谷南2−5−15
社号 大谷八幡宮
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 大六天、稲荷社

大谷神明社(-)
海老名市大谷北2−13−22
社号 神明社
祭神 天照大神、豊受大神
相殿 -
境内社 三峯社、須賀神社、稲荷社、住吉神社、東照宮

勝瀬八坂神社(非)
海老名市勝瀬9
社号 八坂神社
祭神 天照大神

貴日土神社(-)
海老名市中河内1743
社号 貴日土神社
祭神 宇気母知命(倉稲魂命)
相殿 厳嶋媛命、大山咋命、大物主命、火之迦具土神、徳川家康公
境内社 御嶽大神

計24社寺

合掌
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