着いた所は、美術館というよりは、美術室?
古田織部美術館は、マンションの地下が展示室で一階で受付をするようになっていた。
何故今回ここに自分の食指が動いたかと言うと、利休七哲とキリスト教との関係を表す展示物がある、とのことだったからだ。
刀のつばや、甲冑、それに茶碗などの「お道具」が所狭しと展示されていた。
武士にとっての「お道具」とは、武具と茶器の両方を指す。
そこには何かしらの「クルス」が描かれていた。
室内ではフィルム上映もあり、利休が殺害されたのは、キリスト教に傾き過ぎたからだ、と解説していた(利休切腹の理由は諸説あり)
動画をみてすっかり予定時間よりオーバーしていたので、ここでいくつかの寺社を飛ばして、相国寺へ行く。
ここで1つの有名な「宗旦狐」のお話。
高台寺には、宗旦狐の置物があったが、もともとはこちらが本家。
宗旦狐稲荷社がある。
そのお話とは。
千家三代目、千宗旦になりすましてちょくちょく茶席にくる者がいる。
腕前は素晴らしく、宗旦の弟子すら見惚れるほどだった。
ある日その偽宗旦を弟子たちが問い詰めると、なんと寺の藪に住んでいる古狐だと判明。
狐は謝罪したので、許してやる。
それからも、ちょくちょく狐は宗旦に化けて、碁を打ったり、弟子と修行をしたり、寺の財政難を助けるために奮闘したりして、次第に皆から愛されるようになる。
そして、幕末のある盆の暮。
その宗旦狐は、倒産寸前だった豆腐屋を救うと、お礼にと狐の大好物のネズミの素揚げ(今の油揚げの原型)を贈られる。
「これを食べると神通力が消える」と一旦断ったが、我慢できずに食べてしまう。
すると元の狐の姿に戻ってしまい、近くの犬に追いかけ回され、あげくに井戸に落ちてあっさりと死んでしまう。
他にも、鉄砲でうたれた、死期を
悟って別れの茶会を開いた、などが言い伝えられている。
威厳のあるお狐さま、色っぽいお狐さま、可愛らしいお狐さま、いろいろ見てきたけど、宗旦狐は、みんなに愛されたお狐さまだ。
京都には昔ほど狐は居なくなったみたいだが、もしかしたら、この物語があって以降、あまり犬を飼わなくなったのではないかと勝手に想像してみる(代わりに猫をよくみかける)
それにしても、神社の境内では狛犬と稲荷さんが仲良く一緒に、祀られていることが多いのに、意外と犬犭袁の仲なのかもしれない。瓜なのに。
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