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2021年05月15日06:41

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京都伏目稲荷ツアー 其ノ十四

女性は思念が強い、そんな事を思わせる神社は、まだまだ続く。

次の史跡、鉄輪の井戸もそうだ。
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間口半軒くらいの所で、民家に挟まれている鉄輪井戸は、石柱がなければ確実に他人様の家だと勘違いするほどだ。
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ここもずっと訪れたかった場所だ。

昔、京都に夫婦が住んでいた。
ところが夫が浮気をし、嫉妬深い妻は怒り狂い、ついには呪いの願掛けに走った。
顔に朱をさし、身体に丹(赤色の絵の具)を塗り、頭には鉄輪(三本の足を持つ鉄の輪)をかぶり、その三本の足には蝋燭、口に松明をくわえ、丑の刻に向かう先は貴船神社……

呪詛の満願は七日であったが、その六日目に女はついに力尽きたのか、自宅近くの井戸のそばで息絶えていた。
哀れに思った者がかぶっていた鉄輪を塚と見立てて葬り、やがてその井戸は「鉄輪井戸」と呼ばれるようになった。

そして一つの伝説が生まれた。
この「鉄輪井戸」の水を飲ませると、どんな縁でも切れるという。その噂は広く知られるようになり、多くの人が水を求めてこの地を訪れたということである。

この鉄輪の井戸は能楽にもなり、話は完成される。

能楽では、夫の浮気に嫉妬した女は、呪い殺すために貴船神社へ丑の刻参りを行う。
数日後、異変を感じた夫は陰陽師・安倍晴明を頼って逃げ込む。
晴明は等身大の人形を作り、呪術を駆使する。そこへ鬼と化した女が現れるが、結局神々の力で退散してしまう。

江戸時代になって、縁切りの鉄輪井戸ではよろしくないということで、その隣に稲荷明神が祀られるようになった。
その御利益は「縁結び」。
強力な縁切りの効果は、逆に強力な縁結びに通じるという発想である(安井金毘羅宮と同じように)

だが、その稲荷神社も江戸末期には焼け落ち、町内の総意のもとで昭和に入ってようやく再建されることになった。
そしてそのときにも、夫婦和合・福徳円満の神として祀られた。

その名を命婦(みょうぶ)稲荷神社といい、しっかり手を合わせて来た。

社務所と呼べるような場所は無かったので、御守は購入出来なかった。
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