次は繁昌神社。
今では商売にご利益のある神社だが、本当は全く違う「場所」だった。
『宇治拾遺物語』には、ここで暮らしていた娘の葬送をめぐる怪異譚が書かれている。
長門前司には2人の娘がいて、ここで暮らしていた。
姉はすでに嫁ぎ、妹は未婚でしたが、時折通ってくる男がいた。
妹は若くして病に倒れ、とうとう亡くなってしまったため、その亡骸を墓地まで運んだが、なぜか棺の中は空。
不審に思いつつ人々が家に戻ると、驚くことにその亡骸が戻ってきていた。
ふたたび墓地まで運んだのだが、亡骸はまた戻り、とうとうその場所から動かなくなった。
結局、妹はこの場所に葬られ、塚が建てられてた。
それ以後、人々は気味悪がって塚の周囲から離れ、残された塚の上には社が祀られた。
繁昌は班女がなまった言葉で、班女とは半女とも書かれ、未婚の女性のことだ。
無人の社務所で初穂料を箱に入れて、御札をいただく。
神社から少し離れた所に実際の「班女塚」がある。
なかなかのパワースポットだと説明書がかかっていた。
家の谷間に大きな木と大きな岩が、注連縄がされて、そこに存在していた。
ちゃんとお掃除もされていて、地元の人からも大切にされているようだ。
班女さんのこの土地への強い思いは、しっかりと繋がっていた。
繋がり昌(さかえ)る、その意味でもまさに繁昌神社だった。
女性は思念が強い、そんな事を思わせる神社は、まだまだ続く。
次の史跡、鉄輪の井戸もそうだ。
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