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2021年05月14日13:58

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京都伏目稲荷ツアー 其ノ玖

まずは南蛮寺跡と小野小町の井戸がある別荘跡。

どちらも石柱が1つと立て看板のみ。
小野小町の別荘跡は、看板の周りに雑草が生えていて何度も見落として、行きつ戻りつしながら、やっと見つけた、価値ある史跡。

価値がある、と思っているのは自分だけなのだなぁ、と思わせる価値ある史跡だった。
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その後は「膏薬辻子」と京都神田明神。

膏薬辻子は、平将門の首がさらされた場所で、後に空也上人が念仏道場を建てたことから、空也が膏薬になったと言われている。

その直ぐ側に京都神田明神があるのだが、都内の神田明神と比べるとなんとまぁ、可愛らしい神社だった。

それも住宅の1つかと間違えんばかりに、普通の長屋の一軒ほどの敷地に紛れこんでいて、サッシの向こう側に鳥居があるので、近くへ行くまでわからない。

都内の神田明神を想像してくると拍子抜けする。

ここはまだ閉まっていたので、外から手を合わせる。

次は秦家の史跡。

史跡だけでも充分見ごたえがある京都、街ぐるみ「京都」を作っているのがよくわかる。
古い家屋が当時のまま保存されている。

そして新しい家屋と昔からの家屋のコラボ、それは今の家屋なのに古の家屋の良い所を取り入れているからだろう。

屋根の上に鬼瓦、その横に鐘馗様(しょうきさま)の瓦がある。
これも京都だけのオリジナル屋根だ。
沖縄ならシーサーがいる屋根の感じだろうか。

鬼は魔のものを魔力で対抗すると言う考えだが、その鬼自体の魔の妖気にやられてしまう人がいてもおかしくない。

そんな人のために、鬼を封じる鐘馗様を並べて配置したのだ。
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京都ならではの、にくいおもてなし気遣いだ。

源義経が平家を滅亡させたが、その力が大きすぎた故に身内から殺されてしまった、まさにその思想と同じだ(ちょっと違うか)
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