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2021年05月14日04:49

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京都伏目稲荷ツアー 其ノ陸

大将軍神社を後にして、次は大将軍妖怪ストリートへ最後に行こうと考えていたが、やはりこのご時世、地元の方に不安を与えるような行動は慎むべきと考えた。

妖怪ストリートとは、その昔、百鬼夜行の通り道だっあことから命名された。

次に向かおうと自転車を漕いでいると、いつの間にかお店の前に妖怪が立っているではないか!
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そう、すでにここは妖怪ストリート(商店街)に脚を踏み入れていたのだった!

妖怪恐るべし!
あなどれない我が方向音痴!
ぐるぐる先生ありがとう!

幸いなことに?数軒を除いてほとんどのお店が閉まっていた。

後6つ寺社、史跡をまわる予定を飛ばして、本日の大目玉へと向う。

ねねゆかりの高台寺と圓徳院のライトアップだ。

秋の紅葉が有名だが、春の青紅葉も実は素晴らしいのだ。

まずはまだ明るい内に圓徳院へ到着する。

園内の開けた小高い丘から、京都の街並を鑑賞、かの銅閣寺が見える。
石川五右衛門のお墓がある銅閣寺はいまは入れないが、ツーンと尖った屋根は、京都の名勝だ。
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ゆっくりと庭の縁側に座り、昼間の日差しからだんだん日が落ちてゆくに従って、ライトの光が青紅葉を照らし出してゆく幻想的なグラデーションの庭を、自分達だけで独占して鑑賞できる贅沢さ。

鑑賞なのか、観賞なのか、はたまた感賞なのか、その全てか。

夕暮れ時は人を感傷的にさせる。

時間よ、とまれ。

今のヘミシンク、昔のシルバーマインドコントロールのような事をしなくても、幽体離脱出来そうな神秘的な時間。

人生において、どうでもいいことと、とても大切なことを、悟ったような気持ちになる。

まさに禅語の「柳緑花紅真面目(やなぎはみどり、はなはくれない、しんめんもく)」だ。

真面目とは、真=本当の、面目=姿。

「柳は緑であり、花は紅であり、これが本来ありのままの姿である」

柳は紅にはならず、花は緑にもならない、そのまま、ありのまま、当たり前の姿が、どんな時にも尊いことだ。

何者かになる必要はない。
何者かにならなければならない時も、本質は忘れない。

言葉にすると薄っぺらくなるが、それを五感で体感できた。
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有名な高台寺ではなく、人気(ひとけ、にんき)のないこちらから訪れて大正解、予想をはるかに超えた雅で不思議な時間を過ごせた。

後ほど高台寺へもいくことになるが、このように縁台から庭を鑑賞できたのは、こちら圓徳院だけだった。

圓徳院がじっくり座って青紅葉を鑑賞するとしたら、高台寺の方は、青紅葉狩り、つまり歩いてライトアップを楽しめるように考えて造られているようだ。

圓徳院の縁側で刻々と変わりゆく紅葉を鑑賞した後に、暗くなった高台寺へと向う。
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