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2021年04月02日03:07

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テレビを見ていたら、聞き覚えのある名前が。しかし、まさか40年前に渡米したときの仲間だったなんて! BS−TBS「昭和のクルマをいつまでも」(遠乗会、前編)で嬉しい再会。

僕は車の運転はしませんが、息子がそこそこ車好きだったことから、自動車に関する番組をいくつか見ています。昨年の秋からレギュラー番組になった「昭和のクルマをいつまでも」は、すでに何回か日記に書きました。“1台の車を30年以上乗り続けている人”を探す番組で、“30年以上”というキツい縛りが見ていて窮屈なのですが、「ポツンと一軒家」同様、人生の機微を垣間見せる面白さがタマにあるので、見続けています。

12月に見た「愛知捜索旅・後編」では、カルマン・ギアへの愛情を語る持ち主に“涙した”わけです。だから“これ以上の内容は今後見られるはずがない”と判断して、その感覚を大切にするため以後見ないでおこうと決めたと日記に書きました。しかし、テレビであそこまで感情移入できることは稀有なので、ついつい見続けていたしだいです。

この番組、何がダメだったかと言うと、捜索を担当するADだかディレクターだか知らないけど、そのおっさんが昭和のクルマに無知すぎることでした。珍しい車を見ると決まって“これは何ていう車ですか”と質問する。その軽さが腹立たしい。少なくともエンブレムから会社名くらい判別して、“〇〇のこんな車は初めてです”とか、もう少し勉強してほしいと思っていました。

そのあたりの浅さが致命的ですが、僕は子供のころ車のショールームに出入りして、豪華なカラーパンフをもらって喜んでいた事実を思い出したわけで、やはり見続けてしまう番組でした。その番組で、まさか知人を発見するとは。それも明治41年から100年以上続いている組織、オートモビル クラブ ジャパン/Automobile Club Japanの会長さんを務めている人が知人だとは、全く考えられませんでした。

しかしお名前と声に“?”と感じたのです。そしたら若い頃の写真が登場したため“!”となりました。間違いありません。あれは1976年だったと思いますが、ラジオ番組を制作していた友人から誘われてロサンゼルスに旅行したのですが、そのツアーの主催者が現在オートモビル クラブ ジャパンの会長さんだったわけです。

その是枝正美さんは、1976年当時ラジオ番組の制作会社におられて、僕はレコード会社の販促担当でした。僕はまだ20代で、是枝さんも確か同い年だったような。誘ってくれた友人も僕より一学年下でしたから、そういう気軽さでツアーに参加したのでした。チケットの手配などはツアー会社がやっていましたが、ロサンゼルスのモーテルに泊まるというあたりも、僕には興味深いツアーでした。

そもそも誘ってくれた友人とは、ベルウッドに参加して上京した直後に知り合ってはいたのですが、その前年1975年にロサンゼルスのホテルでたまたま出会って友だちになっていたわけです。あのときも僕がホテルの部屋に忘れものをしたために、それを取って玄関で待つ同行者たちのところへ行こうとしたら、留学していた彼が階段を上がってきた、という珍しい出会いでした。

そこから親交が始まり、放送番組の台本を書かせてもらうことになったのですから、人生というものは不思議なものです。今回また、その友人から誘われてツアーで知り合った是枝さんを、テレビ番組の中に発見したわけです。こんな話を映画にしたら、観客は“馬鹿も休み休み言え”と憤慨するに決まっている。まさに事実は小説よりも奇なりでした。

1970年代なかばというと、ドルが変動相場制になったばかりで、一気に海外旅行ブームが花開きました。ベビーブーマーである僕たち世代にとって、“アメリカへ行く”という命題が現実的になった頃です。とくに映画でアメリカン・ウェイを刷り込まれてきた僕には、魅力的なブームでした。

さらに是枝さんと僕の友人が企画したツアーは、いわゆる観光会社のお仕着せツアーではないわけで、アメリカの生活に一歩足を踏み入れる感覚でした。自分たちでレンタカーを借り、ツアー会社お仕着せのオプショナル・ツアーとはひと味もふた味も違う旅行は、そこから2〜3年続きました。ピーター・バラカンさんとご一緒したのも、是枝さんたちの企画したツアーでした。

言い忘れてましたが、是枝さんはラジオ番組のディレクターとして相当な経歴をお持ちで、サザンオールスターズがデビューしたころ、いちはやく原由子を抜擢して音楽番組を作ったのでした。あのころラジオ番組の制作会社には、先鋭な感覚を持ったディレクターがたくさんいました。先述の友人も、番組制作会社に勤めていたのですが、一念発起して渡米、そして1年後にフリーディレクターとして番組制作を再開したのでした。

おかげで僕は、台本執筆ということを基礎から教えてもらえ、その経験から後に日本語字幕制作を見様見真似で始めることが出来ました。そして現在に至っているわけですが、かたや100年以上続くオートモビル クラブ ジャパンの会長さんです。すっかりご沙汰していたのに、FBで検索してメッセージを送ったら、すぐ友達承認してくださいました。

現在は国立で倶楽部六六食房というカフェをやっておられるとか。たまたまコロナ禍で休業しており、4月3日から再開とのこと。近いうちにお伺いして、昔話に花を咲かせたいと思います。いやはやそれにしても、テレビで知人を発見するなんて、嘘みたいな話が実際にあるのですね。それもレコード関係とかではないところが、また面白い。

十数年前(もっと?)に、テレサ・テンのファンがどうしてもほしいパンフというものを、知人のデザイナーが“プレゼントします”と名乗り出ていたことがありました。あれにも驚いたけど、まだ仕事つながりだから理解できました。今回は思いもつかない自動車番組だったので、驚きは倍加しています。

さて、どんな話で盛り上がるでしょうか。楽しみ、楽しみ。
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