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2021年04月01日02:45

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“ホームレスじゃない。ハウスレスだ”とノマドは言う。“連帯”を拒否して連帯を越えられるか? クロエ・ジャオ監督「ノマドランド」(2020)。

僕は「ノマドランド」を買います。いい映画でした。心にしみました。何が?と問われたら、音楽がと答えます。まず冒頭にファーンが“グリーンスリーブス”を口ずさみます。この曲は僕にとって、「西部開拓史」の主題歌“峠の我が家”なのです。耳馴染んだ民謡ではなく、高校生になるかならないかのころに見たシネラマ劇映画の鮮烈な想い出とダブりました。

さらに、ノマドの人たちが集いながら合唱する曲が“オン・ド・ロード・アゲイン”でした。僕にとってこの曲は、ウィリー・ネルソン作曲という部分ではなく、ウッドストック・コンサートでキャンド・ヒートが演奏した曲であり、映画「ウッドストック」では演奏シーンはなく、ウッドストックに押し寄せる群衆たちの映像にボイスオーバーしたのでした。

この2つの曲と、カメラを携えた少人数クルーが車上生活者たちの生き様をとらえた映像がクロスするわけで、土地と家を捨てざるを得なくなった一部のアメリカ人が、“開拓時代の開拓民みたい”(と、映画の中で家を持って暮らす人々から言われています)に生きていきます。僕は車上生活者とホームレスの違いすら理解していなかったわけで、この生き様についてなかなかの感銘を受けたのです。

ファーン(フランセス・マクダーマンド)は、ネバダ州エンパイアに住んでいました。その町はUS石膏という鉱業会社が、従事する人々のために拓いた町らしい。一時期は盛況だった町はしかし、鉱山の廃坑によって一転します。前後して夫を亡くしたファーンは、代用教員など様々な仕事をしながら家を守ってきましたが、町自体がなくなり郵便番号すら廃止されてしまうと、車上生活者(ノマド)として渡り歩き、その日暮らしに近い生活をします。

ノマドという言葉は僕には耳新しい言葉でした。最近ではITエリートたちがそう名乗っているようですが、そんな天国のような暮らしと車上生活のノマドは全く違います。折しも、アマゾンの配送関係の人々が労働組合を作ろうとしていますが、アマゾン側は“組合に入ると組合費を取られるよ”と切り崩しを行っている。その切り崩し隊としてノマドが利用されていないことを願います。

つまり僕は知っています。バブルで景気が良かったころに“自由に働く環境を”とフリーターがもてはやされ、使用者側が“福利厚生費のかからないコンビニエントな労働力”とフリーターを推奨し、“自由に契約を終了できる個人事業主”としてバブル崩壊後に捨てていったことを。そのため戦後労働運動として獲得した労働者の地位は、ほぼ完膚なきまでに雲散霧消してしまいました。

かく言う僕自身、個人事業主として字幕制作という仕事を得て、1995年から今日に至るまで“ノマドな”暮らしをしてきました。ただ僕には大企業に勤める配偶者がいて、彼女のおかげで日々の生活が成立していたという幸運があったわけです。配偶者を亡くし、住む家や町まで亡くしたファーンとは根本的に違う。

トランプ大統領なら言うでしょう。彼らは自由に生きた。その自由こそ強いアメリカを生むんだ、と。しかし永遠の13歳である僕は知っています。この自由は、失業の自由であり、飢えの自由だと。それでもファーンはノマドを続けます。しょせん人間は死ぬわけだから、それまでは自由に生きたいと。

ファーンが、ノマド仲間だと思って接していたデイヴ(デビッド・ストラザーン)は、息子が尋ねてきて彼の用意した家に暮らすことになります。その家に立ち寄ったファーンは、デイヴとの生活を少しは考えますが、息子とピアノを連弾するデイヴの姿を見て、その生活には入り込む余地がないと悟り、再びノマドに戻ります。これが僕には痛烈でした。

話は変わりますが、「ノーマッズ」という映画がありました。僕は見ていませんが、これノマドたちという意味ですよね。どうも家を持ち家庭をもって暮らす人々(僕もそうです)は、自分たちと違うノマドを警戒しすぎていると、この映画は語ります。そうは言うけど、結果的にファーンはアマゾンで季節労働して、労働組合を作ろうとする人々から仕事を奪っているとも言えるわけです。

ノマドも労働組合を作ろうとする人々も、共に労働者であるはずです。しかし使用者側はより安い労働力を得るために2つを競合させる。ファーン曰く“アマゾンの仕事は稼げるの”。そりゃ車上生活の電気代くらいにはなるでしょうよ。しかし、もう少し大局を見て物事を判断しなさいよ、と僕は思います。

一方で、もうすぐ後期高齢者になりかけている僕がいて、いまさら高収入の仕事なんかないんだから、惨めじゃなかったらそこそこの暮らしで我慢して生きていけるさ、と思うのでした。その考えが使用者側に付け込まれる要因なのですが、もういいよ、と思う。

しかし、この映画はノマド礼賛ではないし、はたまた労働者よ団結せよとも言いません。こういう生き方もあると呈示しているだけ。それを見て僕は、ウッドストック世代として、そしてアメリカン・ウェイを映画から学んだ人間として、この映画に感じ入るところは大だった訳です。

そんな感情なんか、500円で売ってもいいはずなのですが、売れないし買い手がいない。これを老人の郷愁と言うのなら、そんなものこそ捨ててしまいたい。ということで僕は、「シカゴ7裁判」にオスカーをとってほしいと思います。あの作品には、僕が信じたアメリカン・ウェイが感じられる。「ノマドランド」は開拓精神ではないし、「ミナリ」はトランプたちに阿っている気がするから。

そうは言うものの、焚き火を囲んで“オン・ザ・ロード・アゲイン”を歌うと、なんか“連帯”した気になるよね。でも、歌を歌って果たした連帯なんか、暴力の前には無力なんです。ミャンマーを見れば分かるし、ローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」を見れば明らかです。歌には歌の力があるけれど、それだけでは慰めにしかならないのですから。

写真3は、映画に出てきた“ラシュモア山もどき”(笑)。この大統領の顔の中にバイデンが入るようなら、アメリカン・ウェイにとって大きな力ですが、さて…。
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