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2021年03月26日00:02

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「狆」の方角には引っ越すべからず

■「家具置いたら激狭」「彼氏との同棲より自由」...人生初の一人暮らし、思い出は
(Jタウンネット - 03月24日 11:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=241&from=diary&id=6457752

30代にはたった10年で5回も引っ越しをしたものだ。最初の引っ越しで得た教訓がこれである。引っ越しの理由は特に退勤の時間が掛かり過ぎた事である。職場は吉祥寺駅からバスで20分ほどだが、土日祭日となると当時は吉祥寺周辺は今と異なり、全くクルマの流れが悪く、ダイヤは滅茶苦茶。結局職場から駅まで徒歩となる。吉祥寺、三鷹、武蔵境の三駅は職場から徒歩で約35分。そこから電車に乗って待ち時間を入れると1時間。

しかし当時はJR中央線は高架されていなかったので、人身事故はのべつまくなしだった。
週刊誌はストーリーテラーの「レジェンド」、稲淳(稲川淳二)まで交えて「呪われた中央線」というタイトルで取材までしていたほどだ。特に国立⇔立川間の踏切には大変な人だかりだった。

人身事故が発生した日は帰宅するのに2時間は掛かる事はザラだったのである。

言っては難だが、2時間もあれば千葉駅まで行けてしまうだろう。

時間の空費以外何ものでもない。

そこで引っ越しをした年、七赤金星の年の方角を見たら、職場の方位は真東で大凶だが、東南は六白金星の吉方位だった。真東の大凶の凶意をかわす為、職場から見て南西の方位で、チャリで通えるところを選んだ。

チャリは今でこそクロスバイクだが、当時は軽快車なのだが。最初の引っ越し先は東京都府中市の東端に決まった。当時は三鷹ですら都市ガスの区域は限られていた。
府中は街の隅々まで都市ガスである。

都市ガスの方が冬場の光熱費は半分で済む。

更に当時としては納税もコンビニでの支払いがOKである。今でこそそんなものは全国どこでも当たり前だが、多くの市町村ではそれが出来ていなかった。

当時の家賃の相場は吉祥寺が兎に角突出しており、杉並の荻窪、世田谷の経堂よりもお高い。三鷹は吉祥寺よりも駅前でなければ1万円下がり、調布は更に7千円ほど下がる。府中は更に5千円ほど下がる。矢張り不動産屋としてはJRと京王とでは名も無い駅でも格が違うという判断なのだろう。

生活が始まった。当時インターネットを敷きたければNTTしか選べなかった。光回線はあったが、使いたい放題でも軽く一か月1万円もした。立川に行き、説明を聞いた。この時代はまだISDN全盛の時代だったが、ADSLを敷く事にした。平成の子たちは分かりにくいので、説明すると、ISDNはデジタル回線に対し、ADSLはアナログ回線だ。喩えて云うならば、些かラフ過ぎるが、ISDLは高架橋を走る新幹線、ADSLはスーパー特急といえば分かりやすいだろうか。

当時は固定電話がない人間は社会的信用が低く、通販でも受け付けていないところが多かったので、固定電話も敷いた。まあADSLは固定電話がないと当時は設定出来なかったのだから、当然だろう。加入権無しの「NTTライト」であれば、手数料3千円未満で電話番号を作れた。

さて、生活もそこそこ軌道に乗って来たところ、転勤になってしまった。引っ越しの為に費やしたおカネが無駄になってしまった。しかも転勤先は山梨県で、七赤金星の年で最大凶だった真西の九紫火星の暗剣殺が控えていた。

この方角に行き、命を落とした人は多い。

〜七赤金星の年に西に移動して命を落とした戦国武将〜

明智光秀 1579年に坂本(現・滋賀県大津市)⇒亀山(現・京都府亀岡市)

これが本能寺の変のトリガーである。西の方位は酒食の失敗、食あたりを想起させる。実際、徳川家康接待の際に彼は信長から叱責を受けている。

徳川家康 1615年 大坂夏の陣 

翌年鯛の天ぷらに当たって、呆気なく病死。既に胃がんだったのかもしれない。当時74歳だから、進行も遅かったのだろう。

それにしてもあの明智光秀は3年、徳川家康は1年しか生きられなかったか。

果たして自分は何年生きられるだろうか・・・。しかも盆の時期である。盆の時期の引っ越しはご法度である。

もし読んでくださった方が経営者ならば、転勤を命じた方もさせられた方も何一つ良い事はないという事を覚えておいて頂きたい。盆の時期は大地のエネルギーが乱れているので、引っ越し、ガーデニング、土と触れるのは好ましくない。だから昔から日本の地方では皆休んだのだ。水難事故が多いのもこの時期の特徴である。何も子どもが夏休みだからではない。

「方違え」を実践することにした。成功するかは分からないが、当時はこれに賭けるしかなかった。

折しも新潟県の上越市にいる親類の法事への参列を依頼されたので、向かう事にした。こが「渡りに船」だった。東京で支度をし、北西の上越市で泊まる。参列後、甲府の引っ越し先に入る。上越から甲府への移動は南の方位となる。

いずれも大吉だ。

結果はこうしてmixiに投稿しているのだから、成功しているといえるかもしれない。
但し、私と共に山梨の別の街に転勤した同僚は飲酒運転をしたクルマに轢かれて亡くなっている・・・。矢張り凶意は無くなっていなかったのだ。

最初の引っ越し時に「吉方位だ」と飛びついたのは良いが、よくよく調べてみると、七赤金星の年の東南の六白金星は「狆」の方位だった。この方位は大ピンチなので起死回生、捲土重来を目指す者以外使ってはならない方位だった。結局、方違えをしなければ、自分も死んでいたかもしれないところまで追い込まれただろうから。

ちなみに2021年は南の一白水星がこれに当たるだろう。本来いるべきではない星がいる、そこが狆の方位である。今年の真南は旅行、出張程度であれば問題はないが、引っ越しは来年を待った方が良いだろう。

なお、これは20年近く前の話である。

(了)
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