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2021年03月11日20:26

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それぞれの大震災

久しぶりの日記の為の日記をしたためた。

東日本大震災が起きて早十年になった。被災地から遠く離れた自分も遠い親類7人も喪った。ただ、それでもまだ良い方かもしれない。まだ遺体すら見つからない家族を抱えている人も大勢いるのだ。行方不明者は全国で2,500人もいる。

2011年3月11日、14時46分、自分は神奈川と東京の県境にいた。直ぐに停電が発生した為、テレビをつけることも出来ず、売場にあったラジオに乾電池を入れてラジオをつける。東北地方で大地震と大津波が発生したと報じた。幸い売場はごくわずかのお客さんしかいなかった為、誘導して見送った。この日は人員が少なく、片側の門を閉じ、店長がメインの門で目的があって買い物に来ている人以外は丁重にお断りしていた。売場は停電でうす暗く、余震で商品が落下しかねなかったからだ。

自分は主婦のパートさん達を外の園芸売り場に避難させ、電卓、メモ用紙100枚、既にレジは停電で使えないので、手書きの領収証、懐中電灯を10個、サービスカウンターに用意させた。まさか目的も無く買い物に来た人はこの日は無いだろうから、フリーターのアルバイトの若い人達に来店客と一緒にメモと懐中電灯を持って行かせて、値段と部門をメモに書いてレジに持って来るようにと指示した。余震の心配があるので、出来るだけだだっ広いメイン通路の中央を歩くように。中央ならば、商品が落下してもかわしやすいからだ。もう一つは余震が酷ければ、裏口から来店客と一緒に逃げて待機しろと伝えた。本来裏口はスタッフオンリーだが、来店客と働きに来てくれているアルバイトの人達の安全が第一だ。

震災の被害いかんによってはこの人達が明日来てくれるかどうかは保証の限りではないからだ。

職場は非常に停電が多い。山に囲まれている為、積乱雲が発生しやすい地形で、落雷が多いためだ。別段それ自体は珍しいことではなかった。幸いにしてお客さん達も「停電慣れ」していたこともあり、混乱は殆ど無かった。

お客さん達の「停電慣れ」に今となっては大いに助けられたかもしれない。

100枚のメモ帳は尽きて、次の100枚を用意した。矢張り乾電池、懐中電灯、カップ麺などはあっと言う間に完売した。職場では灯油も販売されていたが、停電していたので、汲みあげることも出来なかった。電気の有難さが分かる。

結局お店は普段20時閉店のところを18時に閉店した。

普段は敬して遠ざかる存在である社長もこの日は様子を見に来てくれた。多くの従業員は心強かったと思う。

さて、帰りはどうするか。状況判断を誤ると下手すれば帰宅難民になってしまう。

先ず園芸売り場の高いところに上って相模川の谷の向こう側を見る。谷の向こう側はR20が見える。18時でやや暗かったが、尋常な状態ではない。煌々とした明かりが八王子方面に向かって全く静止状態だ。

この光景の意味する事、当時の我々は直ぐに分かった。

中央自動車道を強制的に下ろされたクルマがR20を使って東京に向かおうとはしたが、詰まってしまったようだ。煌々とした明かりの正体はその大渋滞しているクルマのヘッドライトだ。もうこれではR20は使えない・・・。

ということで、橋本、相模原、厚木方面に向かって走ることにした。幸いこちらは流れが詰まっていることは無かった。こちらもダメならばもう店に泊まるしかないと覚悟していたので、そのあたりは良かった。しかし危険はあった。店の前の信号機すら停電していたのだ。クルマの台数が少なかったので、流れに乗れた。停電は行けども続いた。ただ津久井湖畔にある日赤の病院周辺だけは信号機もちゃんと点いていた。とはいえ、その先はとうとう詰まった。元々津久井湖畔は渋滞の名所なのだが。裏をかいて北相模切っての「心霊スポット」と噂される津久井の赤橋を渡り、津久井湖畔の北岸を廻って帰ることにした。不安はあった。いや、幽霊もこんなタイミングで出て来やしないだろう。そんなことではなく、ひょっとするとがけ崩れをしている可能性は多分にあった。ここは地盤が良くないのか、台風でしばしばがけ崩れが起きている。が、それは杞憂だった。信号機は八王子の中央線の南までは点いていなかった。

1時間30分かかるところを1時間40分かけて多摩川を渡ったのはこの混乱にしては上出来だったと言えるかもしれない。しかしそれは偶々対応が良かっただけだろう。今後は避難経路を職場に泊まることも含めて、自分なりにシミレーションしておくべきだと反省した。

知り合いの女性の中にはJR東が駅から乗客を締め出したおかげで、都心から徒歩で数時間掛けてスーツ姿で帰って来た人もいる。

近所の公立高校の生徒は先生の気のきいた指示もあって、体育館で一夜を過ごした。

それぞれの震災があった。

後は誰もが知る通り、東日本は東北を中心に混乱した。

あれから10年。これから伝えたいことを話したい。

道楽で研究している地震予知の多くを日食の通過点と井上仮説に自分は頼っている。関東大震災、阪神・淡路大震災、2004年、22万人もの死者を出したスマトラ島沖地震、2008年の中国の四川大地震、熊本大地震、そして北海道胆振東部地震、全て特異日なのだ。

そんな起きやすい日があるならば、教えてくれというご意見が出そうなので、こちらにリンクいたします。▼

https://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=58808945&id=1978406199

しかし、この東日本大震災だけはなぜか特異日ではないのだ。これだけの規模と被害が出た地震にしては・・・頭を抱え込んでいたが。動画サイトに「東日本大震災 人工地震」と入れれば幾らでも出て来る。動画主が色々な事をアップしてくれている。

あの手の動画は肯定も否定もしない。

3月9日 11時45分に発生した地震。この地震は震度こそ宮城県北部で震度5弱だったものの、M7.3。「大地震」の部類に入れても良い規模だ。阪神淡路大震災、関東大震災と同等のマグニチュードだったのである。3月9日であれば、「特異日」に該当する。熊本大地震も当初は特異日の前日である4月14日に巨大な地震が発生した為、特異日ではないと思われたが、この地震も実は本震こそ4月16日の地震だったという説になって来ている。

熊本の事例と同じことが言えるのではないか。

我々は起こらない事を期待しつつ、備えは十分やっておきたい。地震は絶対に避けられないが、減災することは出来る。減災出来れば、それは自然現象で終わる。もう二度とこのような甚大な犠牲者は出したくない、そんな共通の願いに近づく為にも・・・。

(了)


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