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2021年03月01日16:36

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地元神社をふらり旅 其のニ

朝は少し遅めの7時に家をでる。
だいぶ明るくなったとはいえ、外はまだまだ寒い、本日気温0度。

大沼神社に着くとさっそく本堂に参拝する。
次は横の小さな祠にお参りだ。
この祠にはどんな神様を祀っているなだろう。

お稲荷さまかな、それとも大蛇?

このお堀には雄の大蛇が住んでいたのだからお社があってもおかしくない。

蛇の好物は、生卵、ネズミなどだが、どちらもお供えするのは、後々神社の世話役に迷惑をかけかねないので、あきらめる。
生卵の代わりに、硬貨の〇〇玉(≒玉子)でもいいらしい。
それはらば「玉子(卵)」は「玉5」になるから、5円玉を5枚重ねでお供えして「5円玉5(ご縁タマゴ)」にした。
加えてお酒もお供えする。

ここでお供え物の豆知識。

何故、お稲荷様にお酒をお供えするか。
どうも蛇はお酒が生卵と同じく好物らしい。
ヤマタノオロチを退治した時も、しこたまお酒を飲ませてから退治したし、なによりも酒豪を「うわばみ(大蛇)」と言う。

また、お稲荷様のお供え物は、油揚げなのだが、その昔は「ネズミの油揚げ」だったと言われている。
それがいつのまにやら、ネズミがとれて油揚げになったと言うのが定説だ。
油揚げならばキツネかもしれないが、キツネはネズミが好物だとは考えにくい。
ネズミはやはり蛇の好物と言う事で、お稲荷の正体は先にも書いたように、大蛇(宇賀神、荼吉尼天)で、キツネは眷族(使者、守護)なのだ。

閑話休題

お供え物をしたら、渋池神社へ持っていくために、大沼神社の御神水もいただくことにする。
しかし、御神水がない。
さすがにトイレの水はNGだろうから、境内の松の葉を瓶に詰めて渋池神社へ行くことにする。

途中まで仕事で毎日通っていた道を少しはずれて、住宅地へと入ると、渋池神社が見えてきた。

大沼神社は横に遊具などがある広場があるが、渋池神社は完全に住宅地に囲まれていて、少々窮屈ではないかな、と感じるこじんまりとした神社だった。

小ぶりの祠は大沼神社と同じく空堀に囲まれていて、ご縁玉子とお酒と先程の大沼神社からの葉っぱをお供えする。

これで、ミッション完成、ではなく、今度は渋池神社の葉っぱを瓶に詰めて、大沼神社へと運ぶ、ただし、大沼神社へは一番最後に回るつもりだが。

住宅地の道を塞ぐ形で駐車しているので、長居は出来ない。
すぐに次なる神社へ向かう。

長嶋神社だ。

毎回のことだ、目的の神社へ向かう途中に何度も予定にない神社を通り過ぎることがある。

今回はそんな途中で見つけた神社もご縁と考えて、立ち寄ることにする。

早くも予定外の神社発見。

一度通り過ぎるが、再度Uターンして戻ってくる。
社名は杉山神社。
ここは、実は渋池神社を管理している神社なのだった。

住宅地のかなではあるが、渋池神社と違いかなりの広さの境内である。

本堂にも凝った彫刻があるし、狛犬にも威厳を感じる。

いずれこの杉山神社も地元神社仏閣ローラー作戦で回ることになるだろうが、本日のタイミングで参拝することが出来たことは渋池神社のご縁なのだろう。

ここでまさに御神体に出会う。
それは本堂裏にあった。

いかがだろうか、何かにそっくりだと思うのだが。

このようなほぼ完全な御神体を発見したははじめてだ。
渋池神社が雌の大蛇だからだろうか、見ごとな御神体だ。
これは、自ら進んで大蛇の仲を取り持った自分への褒美なのか、それとも自分が只野好兵衛だからなのか。

女をば 法の御蔵(みぞう)と いう実に 釈迦も達磨もひょひょいと生む      一休宗純

「ほと」が「化(ける)」と書いて「ほとけ」…さらに化仏なる言葉もあるようだ。
化仏神に合掌。

次なる神社へ向かうが、途中にまたまたお寺さんを見つける。

泉龍寺だ。

輪蔵の一種だろうか、各門前にクルクル回すお経を書いた円盤の石柱が立っている。

子供たちもくるくるとサッカー姿で回していた。
なんだか嬉しい気分になる。

毎年一度はいく鎌倉長谷寺にも、巨大な輪蔵(お経が入った回転式の御蔵)があり、行くと必ず回す。
長谷寺の輪蔵はここにあるものと違って、とても一人では回すのが無理な大きさなので、何人かで回すことになる。

泉龍寺は、境内に入るとき、入口が玄関のように木戸になっている横門がある。
それもしゃれおつだが、正面の門には、なんと小ぶりながら仁王像左右にあり、参道には一所七福神で、七福神の神様が全ていらっしゃる。
相模七福神と石柱に掘られていた。
ここで一葉観音様も知る。
色々な観音様がいるのだなぁ。

そして禅寺らしく「不許葷酒入山門」の石柱(お酒や香りの強いものはお寺に入れてはいけない)が立っていた。
しかし、お酒を飲みたいうわばみ僧侶もいたのだろう、かつてのお寺さんでは般若湯と言って、実はお酒の隠語を使って持ち込んでいたらしい。

今なら徹底的に追求されて、破門にされそうだが、むかしは色々な意味でおおらかだったのだろう。

僧侶といえど、多少の破戒は人間味があっていいと思う。

さて、次は目的地の長嶋神社。
実はここは我が高校の母校に近い場所にある。

かれこれ45年、約半世紀ぶりに母校を訪れる。
当時はモダンだと言われていた校舎も赤茶けた色になり、年季を感じる。
同じように年をとったんだなぁ、となんだかほっこりする。

かつて、校則でバイク免許取得禁止だったのに、バイク通学して、竹林に隠して登校していた生徒がいると噂になっていたが、その林はもうなくなり、すっかり住宅地に変身していた。

はかい(破戒)してしまうのは人の常、多少は愛嬌だが、無駄な自然はかい(破壊)はどうにかならないものだろうか。
近くの史跡も破壊されていて、なくなっていた。

階段を登り、小高い丘の上にある長嶋神社の境内には、何故か白龍様が祀られていた。
もしかしたら、ここらへんも昔は水田だったのかもしれない。
そして、その白龍社の祠のなかには、宇賀神が祀られていた(顔が老人、身体が蛇)
そう、ここでは稲荷社としてなく、水神として祀られているのだ。
こうして昔の面影や史跡は、神社仏閣という形で、後世へと受け継がれていくのだろう。

なかなか立派な長嶋神社を去り、惣吉稲荷大明神へと向かう。
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