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2021年02月05日20:05

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思い出は作るものなのか?

 一昨日の夕方、ニュースを見ていて、卒業旅行に行けないので思い出作りができない、と嘆いている女子学生の声が紹介されていた。成人式の自粛でも同様なテレビニュースがあったが、そもそも沖縄やハワイは思い出作りのために行くのだろうか。思い出とは後年、長い時を経ても印象に残る出来事だったという「結果」でしかない。沖縄もハワイも行けないのなら、江戸時代のよしみに倣って東京から江の島まで歩いて行けばいい。昔と違って500メートルごとに茶屋(カフェ)があるし、5キロごとに安全で快適なホテルもある。帰りに電車を利用すれば1時間ちょっとで新宿に着く。まる3、4日ひたすら歩いたら、リゾート地のホテルと飛行場しか見なかったパック旅行より10倍、思い出になる。
 思い出作りとかインスタ投稿が目的、というようなイベントは、主旨からしても本末転倒だと思う。
 世の中は本末転倒の甚だしき跋扈で、(私は)疑問だらけだ。
 政治家という「職業」がある。マックス・ウエーバーは社会学、政治学、歴史学などを学ぶ人なら必ず学ぶが、彼の入門書『職業としての政治』で、政治家というのは国家が近代化するとともに生まれた職業であって、政治を生きる糧にしている本業の政治家と、政治は副業でしかなく政治という役割に就いて少しでも人民に奉仕したいという政治家という概念もある、なんてことを述べていた(正確ではないです)。
 政治を食い扶持に生きている人間というのは、たとえば森騒動の爺さんや陰険な目付きの総理の例を持ち出すまでもなく、どことなく怪しい。世の中には胡散臭いショーバイというのは山ほどあるので、怪しいからと言って否定したらいけないけれど、専門的な技能や一般国民とは桁違いの知識があるといった才能がないのに「上級国民」扱いというのが昔から私は引っかかっていたのだった。
 ヤクザや人材派遣業と同様、ひとのあがり(=税金)の上前をはねる、みたいな印象がある。インチキなことをやっているのに、自分は人の上に立っている(権力を持てて嬉しい)というのが気に食わない。ヤクザなら内心、世間に対する引け目もあろうが、一部の政治家は内省力が著しく欠如しているため、自分が馬鹿で釘ひとつ打てない能なしでもある、という含羞がない。これだけで太宰治とは大いに違う(笑)。
 
 ミャンマーで軍事クーデターが起こった。日本政府は声明を出したのだろうか。前政権は外交自慢だったが、お金を配って歓迎してもらうようなパフォーマンスだけで、拉致問題も北方領土問題も解決するどころか後退してしまった。そしてミャンマーのような、明らかに犯罪的なテロに対してもただ傍観している、というのがこの国の伝統になっている。香港をめぐる中国政府の弾圧についてなんら抗議をしない、というのは、アメリカに続いてこれからは中国の属国になる意志があるからなのかもしれない。
 次に行きたい海外は韓国だったのだが、鍋やフライパンを叩いて抗議の意志を示す屋台のおっちゃんおばちゃんの姿をニュースで見て、今のミャンマーなら行ってみたいと思った。『地球の歩き方 ミャンマー編』でも買って、読んでみるか。たった一日(半日)、ミャンマーに行ったことは行ったが、ほっぺたに白い化粧を施した女性たちを眺めていただけで、なにも印象に残っていない。

 午後2時頃、銀行の担当者が突然来た。
 胸に東京五輪のバッジを付けている(スポンサー企業)。
 ロゴのデザインが地味なので、葬儀会社のマークみたいな印象。
 三井住友は五輪にいくらくらい払ったのだろうか。
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