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2020年09月22日13:45

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小豆島悲歌 ミャンマー京子(美山京子) よろしく

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小豆島に今日は行くぞ、よし行くぞ〜。

岡山の朝は早い、4時半に起きてお昼の駅弁を売店から引き取り、いざバスへ。
6:30にバスで新岡山港へ向かう。

フェリーで穏やかな瀬戸内海を渡るなか、朝に引き取った駅弁を食す。

小豆島の土庄港へ着くと、間髪入れずにタクシーで「エンジェルロード」へ。
ここは干潮の時にだけ、島へ渡る道が出来る。

その道を渡り島へ。
島をぐるりと一周も出来るが、時間がそれほどないので、写真を数枚撮り、すぐにまた土庄港へもどり、今度は小豆島観光バスに乗る。

検温をしてからぎゅうぎゅう詰めのバスへ。

と、ある事に気づく。
岡山駅でもここ小豆島でも、何故か外国人の割合が多い、それもアジア人の。
韓国人や中国人ではない。
どこだろう?
推測なのだが、ミャンマー人だと思う。
何故なら岡山には、大きなヤンマーの工場があるからだ。
君と僕とでミャンマ〜♫

そのミヤン坊マー坊とバスに乗り、初めの観光地、猿の公園へ。

普通、猿が見れると言えば、動物園の中で、大きな堀の向こうだったり、鉄柵の向こうだったりするが、ここは放し飼いだ!

「ここ小豆島の野生のお猿さんは性格がおとなしく、人を襲ったりしませんが、食べ物を持っていったり、目を合わせたりしないで下さい」

それにしても………。
我が地元にはリス園があり、リスが放し飼いになって手で餌をやったりするが、それでもたまに凶暴なリスに小さな子供を襲ったりする。

それなのに、野生の猿?放し飼い?

最悪、死人がでるな。
良くて血みどろ。

まずは、飼育員とお猿さんの芸をひと通り見たあとは、いよいよ猿山へ。

急な登り坂を登って行くと、いました、いました、道の真ん中、端っこに野生猿が、一匹で、群れで、放し飼いで。

でも本当に襲って来ない、普通に猿に混じって歩ける。
本当におとなしい猿ばかりだ。
ここは楽園?そんな言葉が頭をかすめる。
流石に野生の猿、身体には触れられない気配を保ってはいるが。
そして、日光などであるような、人に餌をねだる猿が一匹もいない、野生の猿なのに。

唯一、お猿さん(いや、お猿さま)に餌をやれるふれあいの場所がある。
そこは、猿が放し飼いのなか、ぽつんと檻があり、その中に猿ではなく、人がはいるのだ。
つまり、お猿さまから、凶暴な人間が隔離されている。

ここは、猿の公園ではなくて、実は猿の惑星なのだ。
ここは、お猿さまのほうが上位の真逆な世界だったのだ。

モンキーマジック!

でも、もしお猿さまが人よりランクが上だとしたら、何故、弱肉強食の自然界のルールに従って、襲って来ないのか?

混乱しながら、お猿さまに提供するお食事のビスケットを100万円で購入させていただく。

鉄柵の向こう側からお猿さまが手を出してくる。
想像して欲しい、あくまでも、狭い檻の中に居るのが人間なのだ。
それは考えようによっては、車内でゾンビの群れに襲われるような、水中の檻のなか、ジョーズに襲われるような感覚と言えばいいのだろうか。

しかしやはり野生の猿、きっちりとボス猿がいる。
格下の猿が鉄柵から手を出そうものなら、威嚇して追い払う。
それでもボス猿のいない場所から、また下位の猿が、周りをキョロキョロしながら手を出す。

そこで知る、やはり猿は凶暴だ!自然界のルールに従った、自分が見慣れたよく知っている、あの生き物だったのだ!
ミヤン坊マー坊が危ない!

しかし、それは結局杞憂に終わり、誰一人猿に襲われることなく、無事下山出来た。
なんとも不思議ワールドだった。
ちなみに、ボス猿はビスケットなどには目もくれず、パンのみを選んでねだっていました。
とても威厳のあるお方でしたよ。

小豆島に行く機会があれば、是非お猿の公園に足を運んで下さい。
高尾山にあるような猿の公園なんて思ったら、常識ひっくり返りますから。
またボス猿とのふれあいを望むなら、ビスケットでなく、くれぐれもパンの餌以外を選らばないで下さいね、どちらもお安く100万円ですので。

お猿の公園の後は、ロープウェイで山を降る。
山頂までバスで行き、ロープウェイで下まで下るのだ。
ここは国立公園寒霞渓。
ここのうどんが旨い!素麺も旨い!
香川、岡山はどこでも食べ物全て旨い!

岩肌の見える渓谷を下ると、次は二十四の瞳映画村だ。 

むかしの街並みを再現したこの場所は、二十四の瞳を撮った撮影セットをそのまま残してある。

『二十四の瞳』は、1952年に日本の壺井栄が発表した小説である。 第二次世界大戦の終結から7年後に発表された小説で、作者の壺井栄は、自身が戦時中を生きた者として、この戦争が一般庶民にもたらした数多くの苦難と悲劇を描いた。

とウィキペディアにある。
もちろん事前に映画を見ているので、初めて訪れる感動とは違ったものがあった。
またここは、映画8日目の蝉の中にも出てくる、劇中劇ならぬ、劇中セットなのだ。
もちろん事前に8日目の蝉も鑑賞済み。

ここから見る瀬戸内海は最高だ!
何時間でも見ていられる!

ここで、観光バスを途中下車し、渡し舟で対岸へ。

対岸では、レンタカーを借りて更に、ミヤ坊ンマー坊とはお別れして観光する、観光バスでは行かなかった場所に行くプライベート観光だ。

まずは車で3分の「オリーブ公園」へ。
ジブリの魔女の宅急便のキキがまたがった箒を無料で貸し出している。
その箒を持ってギリシャ風風車の前で写真をとれば、気分はすっかり魔界王………だったはずが箒を借りる人の行列をみてあえなく断念、また転生した時にでも借りることにする。

オリーブ公園は、園内のオリーブの葉から、ハート型の葉を見つけキーホルダーにしてくれる、など盛りだくさんのサービスがあるが、暑さと登り坂の多さに、これまた、挫折し、そうそうにレンタカーに戻りクーラーでクールダウン。

いいさ、これから行く所は見たこともないような自然が待っているだから。
それは「中山千枚田」。
山腹に段々畑が広がった広大な場所。
そこに一軒しかない「こまめ食堂」が人気で、この食堂も、また行列が出来ていたら諦めることにする予定だ。

オリーブ公園から15分、千枚田に着くと駐車場がいっぱいで、臨時駐車場へ行ってくれ、と言われる。

しかし行けども行けどもない、しばらくして「あれじゃない?」と看板を指す息子。
おいおい、遠すぎだろ、この臨時駐車場、これでは車で来た意味がない。

もっと時間に余裕があれば、歩いて自然を愉しむ、という選択もあったが、これは予想外のあまロスだ(あまりな時間ロス)

後でわかったことだが、あのちっちゃい駐車場では観光バスなど、とても入れない。

結局、千枚田も見ることなく、いわんやこまめ食堂の香りすら嗅ぐことなく、車内からチラリと眺めて、行った気になることにした。
どうせ、事前にyoutubeで嫌というほど、1年分の四季折々の千枚田を既に観光して、こまめ食堂の看板メニューも3食以上食べているから、べつにいいのだ。

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どこへ行っても、事前に動画をみて、まるで答え合わせのような今回の旅行。
それはわかっていたのだが、一人旅ならいいけれど、やはり家族旅行だと不測の事態をさけために、現地を調べ尽くすことは、仕方ないと諦めている。

早期幼児教育は、体操など身体を動かすこと以外のことは、自分は反対だ。
それは「はじめての感動」がなくなってしまうから。
出来たら、カテキョウと二人でなく、学校で、みんなと、はじめての感動を、共有して欲しいから。

言葉はもともと人工的なもので、勉強の早期教育は、大人の決まりきった枠に、子供の自由な発想を切り捨てて、早く社会に溶け込める人間を作り上げるための仕組みだ。

だから、外国から比べたら、識字率はずば抜けて高い日本だが、ずば抜けた天才は出にくいのだ。

なにはともあれ、何も考えずに、感動のぶらり一人旅は、次回だ。

次に向かった先は「宝生院」
小豆島五十五番目の札所だ。
流石にこの暑さではお遍路さんはいなかった。

ここは、シンパクという種類の樹が有名で、樹齢2000年といから凄い。
しかしそれだけでなく、その生き生きとした老木の枝や幹が、ある生き物の顔に見えるのだ。

龍、像、亀、他にも独自目線で他の生き物も探せるのだ。
自分は他に3体ぐらい見つけた。

宝生院を後にして、港へ向かう。

出港時間にはまだ少しあるので、港近くの通称「迷路の街」へ。
もしも時間が余った時のために調べておいた隠し玉。

小豆島はかつて海賊などに襲われた経験から、海岸の街の道は細く迷路のように作ったと言われている。
しかし、それはむかしむかしの話、と言うことがわかった。

今は今の人が住みやすいように再開発してある、当たり前なことだ。
もちろん、その名残りはあるが、それとわかるのは、赤錆た看板で「迷路の街」の文字として残っているだけである。

迷路の街の中の「妖怪博物館」に入ろうと思っていたのだが、入場料が高く手が出なかった。
なにせ家族四人分だと、1人3000円は、国のGOTO割引クーポンでもないと入れない。

結果、レンタカー巡りはぐだぐだで、もし小豆島を観光するなら、観光バスかレンタカーか、どちらかひとつにすべきだ、と言う結論になった。

どこでも、初めは観光バス、次に訪れる時は自由にレンタカーなど、これが王道なのはわかっているが、なにせ欲張りなもので。

帰りの新幹線も時間の余裕を持たせていたので、最後に1日目にはじめに入った岡山駅のラーメン屋に再入店し、今年二十歳になった息子を交えて、ビールで乾杯。

これは予想以上にうまい!

そして3ヶ月前から緻密に計画し、独自のパンフまで作った旅行も無事終了となった。

感動する旅にしたいなら、あまり詳しく調べずにぶらりと旅行するのがいいことは、よく理解しているつもりだ。

でも、それとは別に、どんな時、場所でも、愛する人といられれば、なんの文句もない、そんな思いを再発見したいのなら、こんな旅もまたいいのかもしれない。

長々と読んでいただき、ありがとうございました。

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