自分に厳しく、他人に優しく。
こう昔から教わってきたが、これがなかなか難しい。
なぜなら、自分の些細なことに気を使い、気をつけると、当然ながら、他人のアラが見えてしまうからだ。
居酒屋や飲食店に「自粛しろ、いつまでやってるんだ」と張り紙をしたり、営業している遊戯店に並んでいる人に「子供たちが我慢しているのに、恥を知れ」と怒鳴る人は、当然自分も厳しく生活を律している人だろう。
現実は、自分に厳しい人ほど、他人にも厳しくなる。
人間が丸くなるとは、そんな昔の心の所作とは違う思惑に至ったことだと思う。
つまり、
自分に優しく、他人にもっと優しく。
自分を許し、他人も許す。
自分の立場を守り、相手の立場も守る。
もちろん、相手に無関心になることではない。
相手を深く理解することで、優しくなれるし、許せもする。
相手を理解するのもまたとても難しいが、自分の心の同一方向性は保てる。
新しい生活習慣に、是非これも付け加えて欲しい。
また、空き巣が横行しているらしいが、報道は、悪の権化のような見せ方をしているが、中には「食べる物が欲しかった」と言う動機も一緒くた(一色単?)にしないで欲しい。
間違った認識は、本当はどこが問題なのかを見落としてしまう。
昨日の東京の感染者 39人
本日の東京の感染者 36人
Thank you、弥勒(菩薩)。
Thank you、照代(春日)。
地下鉄はどこからはいるの?
それもそうだけど、
昭和のレトロなメトロでは、
地下鉄は一瞬室内灯が消えました。
あれ、よかったなぁ。
どこかのアトラクションに乗ってるみたいで。
ドリフのコントで、蒸気機関車がトンネルに入るコントも思い出した人もいるだろう。
なんでだろうね、電灯点灯するのは?
今回はヤホーで調べたくありません。
なんでだろうね〜。
※一色単?
一生懸命はもともと、一所懸命だったのが、間違った使い方で市民権を得た例だが、「いっしょくたん」も事実上は市民権を得ている。
用法を間違っていて、いつのまにか定着した言葉はごまんとある(五万と?巨万と?)。
よく耳にする「いっしょくたん」は実は「一緒くた」が本当なのだ。
一緒くたをヤホーで調べると「なにもかも一緒にすること、同一視」とある。
しかし、一色単も漢字的には、一つの色に単純に絞る、と読めなくもない。
いっしょく、を一緒でなく、一色と勝手に想像した所からの誤認だと思う。
そもそも「いっしょくた」の発音の区切りが問題で、いっしょ・くた、より、いっしょく、とここで区切ってしまいたくなるので、たん、となる
「くた」という言葉が曲者だ、「くた」なんて言葉、普通は使わないから。
と思っていたら、
くた・ばる、くた・びれる、がら・くた、など意外と沢山あった。
くたは「朽ちる」ことで、古い、ダメになることから、ゴミと言う意味にもなる。
つまり、一緒くたは「一緒のゴミ」のように雑多なものを秩序なく一緒にする、と言うことなのだ。
玉石混交状態を言う。
これからは、おたん・こなす、同様、いっしょ・くた、と区切って発音しょう。
でも、そして、
相手が、いっしょくたん、と言っても、薀蓄(うんちく)を傾けず、優しい気持ちでスルーしましょう。
もともと、薀蓄なんて、うんち・くた、なんですから。
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