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2020年04月13日17:44

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今日は雨。

自分は毎日仕事場へ行く途中の神社にお参りし、1日の安全を祈願してから出社する。
以前の秋葉原の職場では、神田明神と社屋にある稲荷神社に手をあわせていた。

今の職場になってからは、職場の近くの富士浅間神社の分社に行っている。
ビルに挟まれて、通り過ぎてしまいそうに小さな社で、はじめて今の会社の面接に行ったときに見つけたお寺さんである。
小さくても、早朝からキチンと綺麗に掃除して、飛び石に打ち水をしてくれるご婦人がいる、そして、猫の額ほどの砂場があり、かつては(今も?)ここで遊んでいた近所の子供もいることがわかる、地域密着型神社である。

先日、前々から気になっていた薬師堂に行ってみることにした。

こんなご時世なので、是非とも病魔退散をお願いしたい。

富士浅間神社から数分のところに、ビルの三階ぐらいの大きな鳥居があり、そこを入ると数メートル先の道の脇にお堂がある。
左右には個人商店が立ち並び、昔もここはどんなにか栄えたのだろう、と思わせる雰囲気だ。

この薬師堂の裏には、桜木神社があり、境内には稲荷神社もある。
さらに、道を歩くと数メートル先の、人目のつかないような裏路地に、ひそっりと、周りの住宅とは場違いな程見事な十一面観音菩薩像が、見下ろすようにそびえている。

実はここには以前、大きなお寺さんがあり、薬師堂も桜木神社も十一面観音菩薩像も全てその境内にあったという。
太平洋戦争の空爆で本堂は焼失、その後お寺は移転したが、この十一面観音菩薩像は残ったと言われている。

また十一面観音菩薩像がある場所は、かつて鈴ヶ森のような刑場だったらしく、像の前に立つと、観音様が、優しくもまた厳しくもある、心を映すような眼差しを今もむけてくれる。
とても静かな気持ちになる。

桜木神社のご祭神は、菅原道真公。
飛梅は有名だけど、桜もそうだったのか。
そういえば、サクラサク、と言えば合格を意味する。

さて、この薬師堂が建てられたいわれに以下のような説明があった。

江戸の町にマラリアが流行(日本では「おこり」と呼ばれていた)、ある日、お坊さまの夢枕に薬師如来がお立ちになって「ドブをさらい、草むらを払い、水はけをよくし、できる限り清水を使用するように」とお告げをしたそうな。
マラリアの病原体は蚊によって運ばれるのだから、蚊を駆除するこれらの方法は効果のある対処法である。
そして、難を克服した住民たちが薬師堂をお礼に建てた、と。

今日は1日中、雨。

鎌倉の円覚寺に定期的に参禅していたとき、早朝じっと座り、数息観で息を数えていると、ふとタイムスリップしてしまうことがあった。
「いままで、こうして何人も何人もこの自分が座っている場所に座った」
そう自然と言葉にならないように感じる時は、決まって雨が降っていた。

朝の薄暗いお堂で半眼で座っていると、屋根から落ちる雨音に混じり、それこそ実際に座っているのが、人なのか、そうでないか、自分の体なのか、感覚だけなのか、わからなくなるような時もあったが、それでも少しも怖くはなかった。

それは、時を超え、一緒に参禅する感覚。
それを肌で感じるのだ。

世界的な未曾有な病魔を早く平伏させて欲しい。
それは昔、マラリアを治療してくださいと祈った人々と同じ気持ちだ。

早朝の靄がかかったお堂の前に立つと、かつてここで、祈りを捧げていた人々と一緒に祈りを捧げている気持ちになる。


本日の東京の感染者 90人

昨日の東京の感染者 166人


一日もはやい終息を願う。

PS.

「二人または三人がその名によって集まるところには、私もその中にいる。」

これは聖書のマタイによる福音書18章20節です。
実に、祈りの本質をついている。

ちなみに祈りは免疫力もあげるそうです。
人のことを気遣う行為は、自分も幸せになり、自らの免疫力もあげる。
R-1もいいですが、その手があったか。
詳しくは中野信子さんの、脳科学からみた「祈り」をご覧下さい。
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