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2020年04月07日18:04

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山ガールなんて言葉はいつ流行ったのだろう。
山仕事をしている人の日記を偶然読んだ。
山仕事をしている人は、持ってきたお弁当を少し残す習慣があると言うのだ。

「山では、餓死した人間の魂が、成仏できずにさ迷っており、それを餓鬼仏という。山仕事をしていると、まれに餓鬼仏に取りつかれる。取りつかれると急に体から力が抜けて、歩くこともできなくなり、山から帰れなくなる。その時、一口だけ残した弁当のご飯を食べると、餓鬼仏が去り山を下りられる」

ダイエットやジムで運動をしていて、急に手足の力がぬけた経験ありませんか?
これは、ハンガーノックといい、激しく長時間に渡るスポーツの最中、極度の低血糖状態に陥ること。

糖尿病でも似たような低血糖を起こし、最悪死に至るとこともあるいいます。

江戸時代の風習にも、旅する時は必ず水筒の水を少し残して、宿や家についたときにそれを道に流して、旅の途中でついてきた餓鬼を供養する、と言われています。

餓鬼は地獄の亡者で、いつもお腹を空かしている。
それは手にした食べ物飲み物は全て火に変わってしまうので、いつまでも空腹なのだそうだ。
餓鬼は、生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした罪のむくいで、餓鬼道に落ちた死者のことです。
子供を餓鬼というのは、貪り食うからだと言われている。

よく言われる「大人買い」をする人が落ちる地獄なののです(なので、本当は餓鬼買い、子供買いのほうがぴったりくる)

むかしは様々な教えで、物欲を戒めました。
それは、18世紀に100人の人口を抱えた江戸の暮らしの知恵だと思います。

それは鈍く黒光りする黒楽だった。
その茶碗の表には、暗めの赤い半円が描かれていた。
銘を「木守り」という。
赤楽の木守りはよく目にするが、黒楽はなかなかお目にかかれない。
たぶん利休の贋作なのだろうが、あれ以来いろいろ調べてもどこにも見つからない。

夢だったのだろうか。

木守りとは、木守り柿からきている。

木枯らしの中、木の枝の先に1つ柿を残しておく風習です。

「あれは、木守り(きもり)とか木守り(きまもり)といいましてね、来年もよく実りますようにとお願いをするおまじないで、木のてっぺんに残しておくのです。」

「それとですね、何もかも私たち人間が奪い取って食べてしまうのではなくて、これから食べ物の少なくなる冬に、きっと苦労するに違いない野山の鳥たちに残しておいてやろうという心づかいでもあるのですね」

小さな小鳥たちのことまで気づかう心、人と自然の共存共栄を守り続けようとする昔からの習慣です。

これから緊急事態宣言がでるでしょう、慌てずに前回のトイレットペーパー不足の二の舞にならぬよう。

木守り、木守り。
柿はいいけど、餓鬼はいや。

本日の東京の感染者 80人

うーん、にわかには信じ難い。


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