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2020年03月20日20:24

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新潟大 学生寮での想い出

あれは、信大を卒業し、社会人になって 1年目だった
夏の盆休みだったんだろうか、
チャリでなく、バイクで4〜5日くらいの旅に出た先だったんだと思う
どこの山に行ったときだったのか、すべてがおぼろげだが、
二十五の夏なら、新潟・山形県境付近にまたがる、
朝日連峰の沢をやりに行ったときかもしれない

旅立って初日の夕方、新潟大学の学生寮に着いた
新潟は、確か六花(りっか)寮という、小粋な名前だった

「もう学生ではないんだけど。」と言うと、
「いいですよ」とのこと。

荷を解いて入寮すると、
「やはり規則で学生でなければ泊まれないんです」と言われた

各県各県庁所在地と、ときにはほかの地方都市にも、
国立大の学生寮が必ずあった
いきなりの訪問で泊めてくれた
宿泊費は無料〜三百円。
長期の休み中のため、帰省している奴の部屋で寝かされたこともある
誰かしら、おなじ旅好き、山好き、チャリ好き、バイク好きの寮生が、
大広間のコンパ部屋などで寝かされてると、酒ブラさげて、話しに来た
おんな好きで、長襦袢サロンてのがある、
と教えてくれた尾根沢という寮生もいた
それは三月の飯豊(いいで)連峰を登りに行ったときの、
鶴岡にある山形大の農学部の寮だったっけか

新潟大の学生寮での話にもどそう

宿泊を断られたので、寮の玄関で荷造りをし直し、
旅立つ用意をしていると、
訪ねたとき応対してくれた二年生だったか三年生の一人の寮生が、
「ほんとに申し訳ありません!悔しいです!」と飛んできた
泣かんばかりに悲しがっている

「いいよ、いいよ、規則なんだから。」
俺は彼に見送られて出発した
どうせカネのかかるまともな宿やホテルにゃ泊まらんかっただろう
学生寮でなけりゃ、駅の待合室寝か24時間サウナ泊まりが定番だった
その日、どこに泊まったかなどまったく思い出せない

おれは南信・伊那市の信大農学部中原(チューゲン)寮時代、
二年生から五年生までの4年間、
北海道の各地にある各大学の寮、
九大も熊本大も鹿児島大も琉球大も、
旅先の、全国20くらいの学生寮を泊まり歩いたが、
このさいごとなった新潟大の学生寮の彼のことは忘れられない。
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