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2019年08月26日06:26

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“疎開”という言葉の元々の意味も知らず、ボーっと生きてきた僕を恥じる。ドキュメントJ「琉球難民 〜証言と記録でたどる台湾疎開」(BS−TBS)。

2019年8月17日(土)にBS161chで放送した1時間番組です。“琉球難民”という言葉に初めて接し、なんじゃこりゃと思ったしだい。その言葉は、2019年2月に発表された、第二次大戦中の沖縄県民を台湾へ疎開させた事実に関する報告書で明らかになったそうです。だから、その言葉自体を知らなくても“恥”ではないと言えるでしょう。

“琉球難民”とは、日本がサイパン島を失って、いよいよ本土決戦を覚悟し始め、その前に沖縄を死守して連合軍を食い止める、という発想になった時代に行われた、沖縄在住の人々の台湾疎開を意味する言葉として紹介されます。沖縄戦の前年、国策として日本から多くの人が移り住みました。高齢者や女性、子供などが主でした。

つまり沖縄での持久戦を考えると、“危険だから高齢者や女性、子供たちを疎開させよう”という考え方です。一見、戦時中にも“弱者保護”という発想があったように思われますが、実は“足手まといの連中を他所へ”ということでした。新聞などで“生活は保証する”と宣伝したので、着のみ着のままで移住したところ、なんの保証もなく貧困生活にあえいだらしい。そんな彼らの分である食料を取り上げ、まず兵士にという発想だったわけ。

そんなひどい生活を強いられた方々が、なぜ今まで知られていなかったかというと、みなさんが“沖縄決戦で亡くなった方々に比べると私たちの不幸なんて”と口を閉ざしておられたからだといいます。この1時間(実尺48分)のドキュメンタリーには数人しか登場しませんし、その1人はインタビュー後(放送前)に亡くなられています。こうして“事実”は歴史に埋もれて行く。

実はこの前に関川秀雄監督の「ひろしま」を見て、僕は“建物疎開”という言葉を初めて耳にしました。“疎開”という言葉を、“戦火を避けて田舎に移住する”という意味でしかとらえていなかった僕には、“建物を疎開するって何?”だったわけです。しかし調べると、“疎開”という言葉は軍事用語で、“部隊や兵力を散らばらせて被害を少なくする”という意味が第一義でした。

たしかにネットの辞書にも“前進中の軍隊の距離・間隔をひらくこと。集団行動している兵を散らし、攻撃目標となり難い状況を作る”とあります。疎く開くわけです。そして第二義として、戦火を避けて避難させる語義が記されています。だから“建物疎開”は家屋を壊して隙間を作り、焼夷弾などの被害を食い止める、という意味でした。

そんな軍事用語が一般化して、僕のような“戦争を知らない子供たち”には第二義が語義として定着します。でも、そんな本来の言葉の意味を知らなくても、たとえボーっとでも、生きてきたことの方が犬死によりはマシです。←“戦争で死ぬということは、どんな死であれ犬死だ”という中島貞夫監督の言葉を基にしました。

ということで、今の今まで本来の語彙を知らずにいた恥をさらしてでも、“琉球難民”の方々の苦難や、他にもまだ僕が知らないだけの苦難を経験された方々がおられるだろうことを考え、遅きに失したとはいえ反省するしだいです。

政府というものは、大義をかざして政治を行いますが、実はテメエたちの都合を大義に隠しているだけだと、もういちど確認したいと思います。消費税が初めて実施されたとき、プロ野球のスーパースターが“現状維持”ながら数百万円の増収になりました。でも、当時の僕の年収はその増収分の半分程度だったのです。
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