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2019年08月07日06:12

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だから政治家が使う美辞麗句には注意しないといけない。BS1スペシャル「北朝鮮への“帰国事業”知られざる外交戦・60年後の告白」に思う。

NHKのページから、この番組の紹介部分を引用します。
>1959年、北朝鮮への帰国事業はどのように始まったのか。世界各国の機密文書が開示され、舞台裏で、日朝両政府だけでなく、冷戦下の米ソ、韓国がし烈な外交戦を繰り広げていたことが明らかになった。いま、脱北した在日コリアンや日本人妻が重い口を開き始めている。

第二次大戦後、米ソの二大国による冷戦状態となり、日本がソ連と交渉して北方領土が返還されようかとなった時期がありました。そして“社会主義を目指す国の理想”が未来社会の遠からぬ夢として語られた時代がありました。1950年代後半は、そんな時代だったと記憶しています。

しかし1960年、日米安全保障条約の締結により日本は明確に“西側諸国”となり、社会主義諸国とは一線を画してつきあうようになりました。そんな時代に、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ在日コリアンや日本人妻が“帰国”するという事業が、日本赤十字社の協力で行われます。このドキュメンタリーによれば、朝鮮総連が働きかけて実現したらしい。1960年代後半まで、9万3,340人が“帰国”しました。

戦後の荒廃で困窮した日本ですが、基本的人権をうたった憲法により“最低限度の文化的生活”は保証しないといけない。しかしその生活保護の予算すらままならない、という事情が、朝鮮総連の働きかけとマッチしたようです。政治は当時からソロバン勘定で動いていたわけですね。

北朝鮮の指導者金日成は、“困窮する同胞を見捨てられない”と人道主義的見地から“帰国事業”を受け入れたそうです。金日成体制下の精鋭たち(2000人を選抜したとか)が北朝鮮の港で小旗を手に歓迎した様子が映像で残っています。ところが“困窮して逃げてきた”と思われていた帰国者たちの方が、身なりや装具が圧倒的に豪華だったらしい。このあたりの“証言”が痛烈でした。

それらの事柄を、脱北者たちのでっちあげだと一蹴する人もいるでしょう。それぞれ何を信じるかは、信じる人の自由です。僕は、このドキュメンタリーのかなりの部分は“事実”だと感じます。時の指導者たちが、どのような思惑からこの事業を推進したのか、その本質にまでは描いていないけど、過酷な現実を生き抜いた人の言葉に存在する重さは、感じ取れました。

少し前に民放で「池上ワールド“あの大事件”SP 日本初のハイジャック!よど号事件」という番組がありました。僕は市川紗椰のファンなので見ましたが、彼女らしい良さは韓国の地下鉄車両に関する知識だけでした。何より、僕には鮮烈な日本初のハイジャック事件を、彼女が知らないということが残念だった。

それはともかく、よど号事件の“犯人”である大学の後輩赤木志郎君の元気な姿が見られただけでもいいか。実は彼らは買い物というものをせず、彼らが希望する食材などをメモして渡すと、それが配達されるという生活だと初めて知りました。今回の帰国事業で帰国し脱北した人々の証言とは大違いです。←もちろん10年以上の年月差はありますが。

僕が今回言いたいことは、こういうドキュメンタリーによって“社会主義は間違っていた”と短絡的な判断を下すことをやめよう、ということです。社会主義を標榜した国はいくつかありましたが、実際に社会主義が“成立”した国は皆無だと言っていい。ソ連からは一時期“パンが無料配布になった”という説が伝わりましたが、そんな事実はなかったように思える。夢のような社会主義国の幸せをCMフィルムとして制作していた会社の話まで暴露されていますし。

つまり、社会主義でなくても、人道主義というものも、共に目指す方向は正しいと思う訳です。なにが問題かと言うと、その正しい方向を“利益追求”で捻じ曲げる勢力が存在するということ。日本だけでなくアメリカや中国、そして当然北朝鮮にも、数多くそんな輩がいます。それらの人々が喧伝する“美辞麗句”を信じた(信じなくても巻き込まれた)人が、大きな災難をこうむったということ。

実に世の中は不公平です。運不運も大きい。それを救ってくれる人なんか、大きな権力を持った連中の中にいるはずがない。そうは思っても、旗印さえよければ信じたくなるのも人情。でも、そういう“過ち”は自分で償うしかないのだという“事実”を、このドキュメンタリーは痛感させてくれました。
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