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2019年01月24日12:11

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この映画は“悪い冗談”にしか思えない。クリスティアン・ペツォルト監督「未来を乗り換えた男」(2018)。

この監督さんは「東ベルリンから来た女」(2012)で知りました。友人から“面白いよ”と言われて見たのですが、きちんとした感覚の映画だとは思ったものの、後半に内容が通俗に堕ちていくのがダメでした。続いて「あの日のように抱きしめて」(2014)も見ましたが、どうも展開に説得力がなく、やはりダメでした。

それなら今回見に行かなければよかったわけですが、株主招待券消化という命題のために見てしまいました。次回からこの監督の映画は見ないことにします。

何が不満だったのかと言いますと、物語がよう分らんのです。なにやらユダヤ系の人間がフランスにいるらしいのですが、ドイツが侵攻してきて“掃討される”とか言ってます。でも第二次大戦中ではなく、街の風景は現代なんです。それがなんとも理解に苦しみましした。全編その調子ですから、途中でばかばかしくなってきたしだい。

たとえば僕は、中島貞夫監督の「大阪電撃作戦」を見たとき、あの映画の時代に赤外線の電気こたつはなかったと言いました。そんなささいなアナクロニズムではなく、まるでナチスのユダヤ人排斥のような語り方をしている話が、街角の広告を液晶テレビで行っているという装置の中で展開するわけです。これは悪い冗談だとしか言いようがない。

映画というものは、別に現実を映さなくていいと理解しています。しかし、見ている人間に対しては、その描いている時代を納得させるべきだと考えます。それが架空の時代でもいいのですが、それなら架空だと信じさせないといけない。2018年のフランスの実景を映し出しながら、何の仕掛けもなく1940年(と文書に見えました)の設定で物語を勧めるのは“間違い”だと断言します。

そして今のマルセイユにはたくさんいるかもしれない、アフリカや中近東からの難民たちを画面に映し出して、現在の社会と昔の物語を“撹拌”してみせたつもりかもしれませんが、僕はそう感じませんでした。せいぜい予算不足でセットを作れなかったからやけくそだったのか、という印象です。

つまり僕が言いたいのは、観客がどう感じるかを考えて映画を作れ、ということなのです。先日放送した「あしたのSHOW」で見た作品は、映画賞を受賞したという設定でその映画の撮影風景を映し出すのですが、映画の中の監督も俳優も、全く映画賞の対象になりそうもない“演技”なわけです。それじゃ映画として成立しません。

それと同じことを、このペツォルト監督はやってのけた。僕にはその程度にしか感じられませんでした。いくら題材が難民問題であろうとも、映画として成立しないものはカスです。映画として成立しない作品でも題材が良ければそれでいいという人は、映画という手段を放棄するべきだと僕は考えています。

お分かりだとは思いますが、僕は荒唐無稽な映画を荒唐無稽だという理由で非難することはありません。この「未来を乗り換えた男」は、荒唐無稽ではないから問題なのです。撮影はシャープで、カメラがとらえた映像はきちんとしています。そこがアマチュアとは違うところ。しかし内容が、アマチュアでも怖くてやりそうもないことをやり、しかもアマチュアと同程度の出来だったから、ダメを出しているのです。

ということで、今後このペッツォルトだか、ペーツォルドだか、読みにくい名前のこの監督の映画は、パスすることに決めました。なに?この映画はカフカを気取った?アホか。
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