mixiユーザー(id:18497350)

2018年11月26日23:47

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惜別.....廃線前の「夕張線」乗り鉄弾丸ツアー

Jetcityは鉄分豊富である 目がハート
42〜43年前くらいに北海道の「夕張辺り」で撮り鉄していたのだが、来年の3月末日をもって
その故郷的な「夕張線」が廃線になることが決まっている涙

おもえばそのころの炭鉱町はどこもまだまだ活気があり、山の斜面には炭住が段々畑
のように立ち並んでいた 目がハート
もちろん蒸気機関車もD51を中心としてガンガン石炭列車をけん引していてパワフル
そのものだった。

......月日は流れきょう妻と夕張線に最後の別れの乗り鉄弾丸ツアーをしてきた次第。

今の北海道は地震災害を受けて「復興割」が実施されている関係かもしれないが
札幌便は連休明けの月曜日にもかかわらず相当な混雑でビックリ がまん顔
何とか飛行機に潜り込むことができて一安心だったのだが......機内で食べようと購入した
シュウマイ弁当は......そんな雰囲気ではなかったげっそり

まずは千歳駅から夕張線最後の乗り鉄ツアー開始!
Jetcity1972が撮り鉄現役だった頃はキハ22だったと思うが、今はキハ40が運行している。

左の写真は、さすがに平日なのでそれほどの乗客はいないが、休日には沢山の鉄道ファンが乗っている ようだ ボケーっとした顔

追分駅にて黄昏れるJetcityむふっ
40数年前、目の前に広大に広がる空き地に無数の線路が敷かれ、D51蒸気機関車たちが
まるで鉄道模型のようにゴチャゴチャとたむろする姿を、ほぼ同じ位置のベンチから眺め
ていたことを思い出す(忘却の彼方)
そう、写真の奥の方に映っている住宅辺りが機関庫だったかな?(もう少し右だったかな)
よく観察してみると敷地の地面は石炭と油でマックロ目exclamation & questionなんか精神的にホッとしてしまった。

真ん中の写真は鹿野谷を過ぎた辺りのトンネルボケーっとした顔
ビッシリと煉瓦で造られている年代物のトンネルなのだが、夕張線には結構残っていたが、
今はここだけになってしまった。
キハ40では建築限界が近いのか徐行して通過している。

現在の夕張駅ボケーっとした顔......残念だが好きではない。
本来の夕張駅はもう少し先にあったのだが、「負の遺産」と定義付けられたようで
炭鉱遺構などとともにバンバン壊されて......そこに住み続ける方たちの心情がそうなのであれば
仕方がないのだろうなぁ.....。
しかし個人的にはとても残念だ(涙)

右の写真は追分駅に戻り停車中のキハ40指でOK
いつの日か......おそらく近い将来、老朽化が進むキハ40ディーゼルカーも新型へと置き換え
が進み「ツマラナイ鉄道風景」になっていくのであろうが世代交代の波には避けられない事を
定年を迎えたJetcity1972はよく理解できる.....。

千歳駅にて......折り返し夕張線夜間の仕業へと準備が進む。
おそらくもう二度と乗ることはない「夕張線」、思わずセンチになってしまうなぁ。


シマホッケを食べました!
抜群に旨かった!!
ソフトクリームも「ペロペロ」しました!
抜群にうまかった!!

2年以内にヨーロッパで北海道ツーリングに行きたいとタクワン出るJetcity1972
なのであったぁ〜

mixiの写真枚数制限のために多くの表現ができなかったので「みんカラ Jetcity1972」
でご興味のある方は検索、覗きに来てくださいませぇ〜

おしまい むふっ
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