Jetcityは鉄分豊富である
42〜43年前くらいに北海道の「夕張辺り」で撮り鉄していたのだが、来年の3月末日をもって
その故郷的な「夕張線」が廃線になることが決まっている
おもえばそのころの炭鉱町はどこもまだまだ活気があり、山の斜面には炭住が段々畑
のように立ち並んでいた
もちろん蒸気機関車もD51を中心としてガンガン石炭列車をけん引していてパワフル
そのものだった。
......月日は流れきょう妻と夕張線に最後の別れの乗り鉄弾丸ツアーをしてきた次第。
今の北海道は地震災害を受けて「復興割」が実施されている関係かもしれないが
札幌便は連休明けの月曜日にもかかわらず相当な混雑でビックリ
何とか飛行機に潜り込むことができて一安心だったのだが......機内で食べようと購入した
シュウマイ弁当は......そんな雰囲気ではなかった
まずは千歳駅から夕張線最後の乗り鉄ツアー開始!
Jetcity1972が撮り鉄現役だった頃はキハ22だったと思うが、今はキハ40が運行している。
左の写真は、さすがに平日なのでそれほどの乗客はいないが、休日には沢山の鉄道ファンが乗っている ようだ
追分駅にて黄昏れるJetcity
40数年前、目の前に広大に広がる空き地に無数の線路が敷かれ、D51蒸気機関車たちが
まるで鉄道模型のようにゴチャゴチャとたむろする姿を、ほぼ同じ位置のベンチから眺め
ていたことを思い出す(忘却の彼方)
そう、写真の奥の方に映っている住宅辺りが機関庫だったかな?(もう少し右だったかな)
よく観察してみると敷地の地面は石炭と油でマックロ
なんか精神的にホッとしてしまった。
真ん中の写真は鹿野谷を過ぎた辺りのトンネル
ビッシリと煉瓦で造られている年代物のトンネルなのだが、夕張線には結構残っていたが、
今はここだけになってしまった。
キハ40では建築限界が近いのか徐行して通過している。
現在の夕張駅
......残念だが好きではない。
本来の夕張駅はもう少し先にあったのだが、「負の遺産」と定義付けられたようで
炭鉱遺構などとともにバンバン壊されて......そこに住み続ける方たちの心情がそうなのであれば
仕方がないのだろうなぁ.....。
しかし個人的にはとても残念だ(涙)
右の写真は追分駅に戻り停車中のキハ40
いつの日か......おそらく近い将来、老朽化が進むキハ40ディーゼルカーも新型へと置き換え
が進み「ツマラナイ鉄道風景」になっていくのであろうが世代交代の波には避けられない事を
定年を迎えたJetcity1972はよく理解できる.....。
千歳駅にて......折り返し夕張線夜間の仕業へと準備が進む。
おそらくもう二度と乗ることはない「夕張線」、思わずセンチになってしまうなぁ。
シマホッケを食べました!
抜群に旨かった!!
ソフトクリームも「ペロペロ」しました!
抜群にうまかった!!
2年以内にヨーロッパで北海道ツーリングに行きたいとタクワン出るJetcity1972
なのであったぁ〜
mixiの写真枚数制限のために多くの表現ができなかったので「みんカラ Jetcity1972」
でご興味のある方は検索、覗きに来てくださいませぇ〜
おしまい
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